谷川治恵
日本の将棋棋士
谷川 治恵(たにかわ はるえ、1954年2月9日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。2002年引退。女流棋士番号は10から2。女流棋士会会長(2001年 - 2003年、2007年 - 2009年)。日本将棋連盟非常勤理事(2011年5月-)。埼玉県出身。青山学院大学卒業。佐瀬勇次名誉九段門下。
谷川治恵 女流五段 | |
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名前 | 谷川治恵 |
生年月日 | 1954年2月9日(70歳) |
プロ入り年月日 | 1976年9月23日(22歳) |
引退年月日 | 2002年4月30日(48歳) |
女流棋士番号 | 2 |
出身地 | 埼玉県 |
所属 | 日本将棋連盟 |
師匠 | 佐瀬勇次名誉九段 |
段位 | 女流五段 |
女流棋士DB | 谷川治恵 |
2016年9月15日現在 |
人物
編集- 青山学院大学在学中、チェスの学生女子チャンピオンとなった[1]。
- 1976年4月、NHK『将棋講座』のアシスタントを務め、同年9月に女流棋士となる。
- 第3期(1980年度)女流王将戦で蛸島彰子に挑戦。三番勝負は0勝2敗で敗れ、タイトル奪取はならなかった。
- 1991年〜1993年、『NHK杯テレビ将棋トーナメント』の司会、聞き手を担当した。
- 棋士の 田丸昇は元夫で、小学館の学習雑誌に将棋のコーナーを夫婦で連載したことがある。
- 2001年5月から2003年5月、および2007年6月から2009年3月まで女流棋士会会長を務めた。なお、2009年4月、新たな棋士会(男女合同)の発足に伴い、女流棋士会独自の役員(会長も含む)は置かないこととなった。
- 2001年、現役勤続25年表彰。
- 2011年5月、日本将棋連盟非常勤理事に就任[2]。
- 2013年4月に再び女流棋士会役員となり[3]、2015年6月には同相談役に就任している[4]。
昇段履歴
編集主な成績
編集タイトル戦登場
編集- 登場回数1、獲得0
将棋大賞
編集- 第37回(2009年度) 東京将棋記者会賞
表彰
編集- 日本将棋連盟 表彰
- 2001年11月:勤続25年[9]
役員等
編集- 日本将棋連盟
- 日本将棋連盟非常勤理事(2011年5月26日 - 2017年05月29日)
- 女流棋士会
- 女流棋士会 会長
- 2001年 - 2003年
- 2007年 - 2009年3月
- 女流棋士会 相談役
- 2015年6月 -
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 『将棋年鑑』 平成10年版、日本将棋連盟、1998年8月、[要ページ番号]頁。
- ^ 「日本将棋連盟新役員のお知らせ」『日本将棋連盟』2011年5月26日。
- ^ 女流棋士会新役員のお知らせ - 日本将棋連盟・2013年4月2日
- ^ 女流棋士会役員のお知らせ - 日本将棋連盟・2015年6月25日
- ^ 「女流棋士昇段規定(FAQ)」『日本将棋連盟』。1998年7月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「想うこと――谷川治恵女流五段|将棋コラム」『日本将棋連盟』2021年2月19日。
- ^ 「谷川治惠女流四段、引退/日本将棋連盟からのお知らせ」『日本将棋連盟』。2002年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「2011年4月1日付昇級・昇段者」『日本将棋連盟』2011年3月31日。
- ^ 「第27回「将棋の日」感謝状・表彰状贈呈者(日本将棋連盟からのお知らせ)」『日本将棋連盟』。2001年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。
参考文献
編集- 書籍編集部 編『平成21~30年 将棋年鑑棋士名鑑10年分』マイナビ出版、2019年1月30日、230頁 。