諸橋愛
競輪選手 (1977-)
諸橋 愛(もろはし めぐむ、1977年7月21日 - )は、新潟県西蒲原郡出身[1]の競輪選手。日本競輪学校第79期生。日本競輪選手会新潟支部所属。師匠は小川隆(43期)。男性である。
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基本情報 | ||||||
本名 | 諸橋 愛 | |||||
生年月日 | 1977年7月21日(47歳) | |||||
身長 | 172cm | |||||
選手情報 | ||||||
所属 | 日本競輪選手会 新潟支部 | |||||
ホーム | 弥彦 | |||||
期別 | 79期 | |||||
脚質 | 追込 | |||||
登録地変遷 | ||||||
1997- | 新潟 | |||||
業績 | ||||||
S級S班 | 2018 | |||||
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■最終更新日:2024年5月10日 ■テンプレートを表示 |
来歴
編集新潟県立吉田商業高等学校出身。在学時に出場した全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(インターハイ)では、4000メートル速度競走種目で優勝している[2]。競輪学校の在校競走成績は32位(11勝)であった。
1997年4月13日、地元弥彦競輪場でデビュー(4着)。同年のルーキーチャンピオンレース(立川競輪場)では4着に入った。2005年の寬仁親王牌(青森競輪場)でG1初優参(8着)。 G3クラスでは、2004年の青森記念で初優勝。地元弥彦記念3連覇(2017年から2019年)を含め、2021年の四日市記念まで8度の優勝を記録している[3][4]。
2017年の共同通信社杯競輪(武雄競輪場)で優勝してG2初勝利。同年の賞金額6位となり、初のKEIRINグランプリへの出場(結果は落車棄権、失格)を決めた[5]。
特徴
編集関東地区を代表する追い込み選手の1人。シビアなレーススタイルで、自分が納得しない自力選手の後ろは回らない[6]。3番手を回った2017年松戸記念では、番手の神山拓弥が後続をブロックした内を掬って優勝。賛否を呼んだ[7][8]。かつては同地区の木暮安由との折り合いの悪さも知られていたが、平原康多の仲裁により和解している[9][10]。
脚注
編集- ^ 【武雄・共同通信社杯】デビュー21年目の諸橋、ビッグ初優勝 - スポニチアネックス 2017年9月20日 05:30
- ^ 全国高校総体栄光の記録 > 全国高校総体(4km速度競走)優勝者
- ^ 山本幸史 (2019年7月29日). “諸橋愛が地元でG3・3連覇 4日制で3人目/弥彦”. 週間レース社. 2024年6月22日閲覧。
- ^ “諸橋愛が平原康をゴール前で逆転!1年9か月ぶりG3制覇…四日市競輪「ベイサイドナイトドリーム」”. スポーツ報知 (2021年4月6日). 2024年5月11日閲覧。
- ^ “今年の競輪界№1を決めろ! KEIRINグランプリ2017出場9選手”. デイリースポーツ (2017年12月27日). 2024年5月11日閲覧。
- ^ 井上茂徳 (2017年8月20日). “鬼脚の一筆点評”. 週間レース社. 2024年6月22日閲覧。
- ^ “勝ちに徹した諸橋愛”. 日刊プロスポーツ新聞社. 2024年6月22日閲覧。
- ^ 町田洋一. “KEIRINグランプリ2017”. KEIRINグランプリ2017 イー新聞特設サイト. 2024年6月22日閲覧。
- ^ “記者席ホットライン 岸和田 G1 高松宮記念杯”. アオケイ(競輪ニュース). 2024年6月22日閲覧。
- ^ “平原康多を先頭に関東一枚岩!! ~豊橋競輪場~”. 日刊プロスポーツ新聞社 (2020年5月30日). 2024年5月11日閲覧。
外部リンク
編集- 選手情報: 諸橋 愛 - KEIRIN.JP