諫鼓鶏
太鼓に乗った鶏
諫鼓鶏(かんこどり[1]、表記ゆれ: 諌鼓鶏、諫鼓鳥、諌鼓鳥)とは、日本画や伝統工芸の題材で、太平の世の象徴とされる、太鼓に乗った鶏を指す。古代中国の諫鼓(かんこ)の伝説に由来する[1]。
概要
編集伝説によれば、古代中国の名君である禹王(一説には堯王・舜王・禹王の三人)は、朝廷の門外に鼓を設置し、王に諫言したい民がいれば鳴らさせた[2][3][4]。
この「諫鼓」の伝説は『管子』『漢書』『文選』『群書治要』など多くの漢籍に記されている[3]。
日本では、平安時代には既に諫鼓の伝説が知られていた[3]。ここから派生して「諫鼓が鳴らないほど太平の世には、諫鼓に鶏が乗っている」という「諫鼓鶏」の概念が生まれた。古くは『和漢朗詠集』に以下の詩句がある[3][5][6]。
刑鞭蒲朽螢空去 諫鼓苔深鳥不驚 —『和漢朗詠集』巻下・帝王・663
江戸時代には、二代将軍徳川秀忠が、江戸日枝神社の山王祭で、先頭の山車に使われていた御幣猿(ごへいざる)を諫鼓鶏に改めさせたとされる[1]。現代でも、山王祭・神田祭・とちぎ秋まつり・城端曳山祭・村上大祭などに、諫鼓鶏の山車がある。
からくり師の竹田近江の代表作に、諫鼓鶏を模した「諫鼓太平楽」があった[7]。
ギャラリー
編集-
置物
脚注
編集- ^ a b c “諫鼓鶏”. 東京都神社庁 (2017年1月1日). 2024年1月21日閲覧。
- ^ a b 『諫鼓』 - コトバンク
- ^ a b c d 泉紀子「「諌鼓」小考」『和漢比較文学』第8号、和漢比較文学会、47-60頁、1991年 。
- ^ 賴鈺菁『幕末・明治初期における「諫言」の変遷と終焉 : 下級武士の忠誠観を中心に』名古屋大学 博士論文、2013年。 NAID 500000730393 。1f頁。
- ^ 『諫鼓苔深く鳥驚かぬ』 - コトバンク
- ^ ウィキソースには、和漢朗詠集の原文があります。
- ^ 山田和人「『竹田大からくり双六』について : からくり研究資料としての絵双六」『人文學』第154号、同志社大学人文学会、1993年 。30f頁。
- ^ 中西智子「かんこ踊りの研究(I) : かんこ踊りの文化的背景」『三重大学教育学部研究紀要. 教育科学』第52号、三重大学教育学部、2001年 。151f頁。