諏訪忠倫
諏訪 忠倫(すわ ただみち)は、江戸時代中期の信濃国高島藩の世嗣。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元文5年7月26日(1740年8月18日) |
死没 | 延享4年8月16日(1747年9月20日) |
改名 | 小太郎(幼名)、忠倫 |
戒名 | 蘭香院妙峯仁秀童子 |
墓所 | 東京都港区の東禅寺 |
藩 | 信濃高島藩世嗣 |
氏族 | 諏訪氏 |
父母 | 諏訪忠林、諏訪忠虎娘 |
兄弟 | 忠倫、忠厚、松平乗完正室、頼訓ら |
略歴
編集信濃国高島藩5代藩主・諏訪忠林の長男(嫡男)として誕生した。母は4代藩主・諏訪忠虎の娘。幼名は小太郎。
藩主嫡子として生まれたが、幼少時に夭逝した。戒名は蘭香院妙峯仁秀童子。墓所は東禅寺。
代わって、弟の忠厚が嫡子となっている。
参考文献
編集- 『諏訪家譜』(『諏訪史料叢書』第27巻)