許斐 遯斎(このみ とんさい、天明2年(1782年) - 弘化2年2月3日(1845年3月10日)は、江戸時代後期の儒学者、教育者。名は氏苗。通称は金次郎、のち三吉。遯斎はその号[1]。
福岡藩士として筑前国に生まれる。竹田定矩(復斎)、定夫(梧亭)兄弟に学ぶ[1]。
寛政10年(1798年)福岡藩の藩校修猷館の教官となる[2]。
弘化2年(1845年)死去。福岡市の徳栄寺に葬られる[2]。