解 儁(かい しゅん、? - ?)は、中国三国時代の武将。『三国志志「田豫伝」に記録がある。

黄初元年(220年)、魏の牽招が使持節・護鮮卑校尉となり昌平に駐屯したおり、解儁もともに鮮卑族を監督した[1]。これ以降の記述はない。

脚注

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  1. ^ 三国志』魏書二十六 滿田牽郭傳「文帝初,北狄彊盛,侵擾邊塞,乃使豫持節護烏丸校尉,牽招解儁并護鮮卑s:zh:三國志/卷26