覚憲(かくけん)は、鎌倉時代初期の法相宗。父は藤原通憲(信西)。宝積院僧正・壺坂僧正とも称される。

覚憲
天承元年 - 建暦2年12月17日
1131年 - 1213年1月10日新暦))
尊称 宝積院僧正・壺坂僧正
宗派 法相宗
寺院 興福寺壺坂寺
蔵俊
弟子 貞慶
著作 三国伝燈記・因明抄ほか
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人物略歴

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興福寺に入り蔵俊に師事して法相唯識を学び、藤原頼長から将来を嘱望された。平治の乱の後、父に連座し伊豆国(一説によれば伊予国)に配流となったが、安元元年(1175年)には奈良大安寺の別当に任じられた。その後、治承4年(1180年)に興福寺権別当、文治5年(1189年)に同寺別当に任じられ、興福寺の復興に努めた。建久元年(1190年)、権僧正となったが、建久6年(1195年)には壺坂寺に隠棲した。唯識論の注釈に大きな功績を残した。特に因明に造詣が深かったことで知られ、『因明抄』など多くの著作がある。

なお、『興福寺奏状』を起草した解脱上人貞慶は覚憲の門弟であり、にあたる。

著書

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  • 『三国伝燈記』(1173年)