西田吉洋

日本のサッカー選手

西田 吉洋(にしだ よしひろ、1973年1月30日 - )は、日本プロポケットビリヤード連盟所属のプロビリヤード選手(第44期生)、元プロサッカー選手愛媛県南宇和郡愛南町出身[1]

西田 吉洋
名前
愛称 爆走機関車
カタカナ ニシダ ヨシヒロ
ラテン文字 NISHIDA Yoshihiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1973-01-30) 1973年1月30日(51歳)
出身地 愛媛県南宇和郡愛南町
身長 178cm
体重 75kg
選手情報
ポジション FWMF / DF
利き足 右足
ユース
1988-1990 日本の旗 南宇和高校
1991-1994 日本の旗 同志社大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1996 日本の旗 サンフレッチェ広島 0 (0)
1996 日本の旗 京都パープルサンガ (loan) 16 (0)
1997‐1998 日本の旗 京都パープルサンガ 31 (1)
1998 日本の旗 アビスパ福岡 (loan) 16 (1)
1999 日本の旗 アビスパ福岡 30 (1)
2000-2002 日本の旗 東京ヴェルディ1969[注 1] 41 (2)
2002 日本の旗 コンサドーレ札幌 (loan) 16 (1)
2003 日本の旗 コンサドーレ札幌 16 (0)
通算 166 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

東京ヴェルディ時代に付けられたキャッチコピーは「爆走機関車」。

来歴

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サッカー選手として

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小学校3年よりサッカーを始める。南宇和高校時代の1年上に大西貴、同期に實好礼忠がいる。2年次の1989年に高校選手権優勝、3年次に高校総体準優勝に、いずれも大会最多得点をマークする活躍で貢献。

同志社大学在学中はサッカー部に所属。3年次に全日本大学サッカー選手権大会で得点王をマークする活躍で、同校初の決勝戦進出を牽引。また、ユニバーシアードバッファロー大会)の日本代表フォワードとして活躍した。1995年、卒業と同時にサンフレッチェ広島へ入団。同期に久保竜彦大木勉山根巌吉村光示萩野英明、三浦和俊、水田月満、玉田真人。当初はフォワードとしてプレーしていた。

1996年に京都パープルサンガ期限付き移籍[2]、翌年完全移籍[2]。右サイドバックにコンバートされてから頭角を現し、1997年には日本代表候補に選出された[2]

1998年にはアビスパ福岡に期限付き移籍[2][3]J1参入決定予備戦(対川崎フロンターレ)において、ロスタイムにボールを奪い、劇的な同点劇(試合は延長で逆転勝利)のきっかけを作った。1999年に完全移籍[2][4]

2000年、ヴェルディ川崎(翌年より東京ヴェルディ1969に改称)に移籍。2002年7月、西田、前園真聖石塚啓次の3選手がクラブより戦力外通告を受けたと報じられた[5]。スポーツ新聞には、3選手の練習態度に不満を持っていた監督のロリが改善を求めたものの聞き入れられなかったという東京V関係者の談話が掲載された[5]

2002年7月からコンサドーレ札幌に期限付き移籍[6]。古巣東京Vに恩返しゴールを決めるなど活躍したがチームはJ2降格。2003年は完全移籍[6]したが同年限りで戦力外通告を受け退団。移籍先は見つからず事実上の引退となった。

2005年12月14日、地元のクラブ愛媛FCがJ2参入に伴いセレクションを実施、参加するも合格に至らなかった。

ビリヤードプレイヤーへの転向

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2006年6月頃、移り住んだ京都でマイキューを持った友達に誘われてビリヤードと出会う。負けたのが悔しくて一人で練習をするようになった。曲球で世界的に有名な木村義一が経営するビリヤード場「白ばら」(2008年5月末に閉店)のことを行き着けの美容室で知って訪れた。木村の人柄に触れ、同店に通って練習を重ねるようになった。「10月までにマスワリを出す」と宣言し、プロや常連に指導を受けながら10月23日に達成した。

2007年6月、ビリヤードの公式戦「全日本アマチュアナインボール選手権(B級の部)」へ初参加し、5位に入賞した。西田はCUE'S誌上でプロになる決意を述べている[7]。2009年には同誌においてプロを目指す企画へ参加。同年、日本プロポケットビリヤード連盟のプロ試験に合格し、第44期生となった。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993 同大 - - - 1 1 1 1
1995 広島 - J 0 0 - 0 0 0 0
1996 京都 16 0 11 0 2 0 29 0
1997 2 31 1 5 0 2 0 38 1
1998 福岡 19 16 1 1 0 2 1 19 2
1999 13 J1 30 1 3 0 1 0 34 1
2000 V川崎 17 12 0 2 0 0 0 14 0
2001 東京V 3 26 2 2 0 0 0 28 2
2002 3 0 0 0 1 0 4 0
札幌 31 16 1 - 1 0 17 1
2003 25 J2 16 0 -
通算 日本 J1 150 6 24 0 9 1 183 7
日本 J2 16 0 -
日本 - - 1 1 1 1
総通算 166 6 24 0

その他の公式戦

代表歴

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  • 1997年 日本代表候補

脚注

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  1. ^ 2000年はヴェルディ川崎

出典・参考文献

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  1. ^ 日本テレビ. “南宇和全国制覇メンバー「勇気を持ってチャレンジを!」愛南町出身の元Jリーガー西田さん講演|日テレNEWS NNN”. 日テレNEWS NNN. 2024年10月31日閲覧。
  2. ^ a b c d e 「高校選手権得点王の今 冬のヒーローだったあの頃/西田吉洋」『週刊サッカーマガジン』 1999年10月6日号 No.731、ベースボール・マガジン社、34頁。
  3. ^ 新加入選手のお知らせ(2/20)』(プレスリリース)アビスパ福岡、1998年2月20日。オリジナルの1999年2月18日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/19990218100938/http://www.infoqshu.or.jp:80/avispa/html/topic9802.html2017年10月30日閲覧 
  4. ^ 新加入選手のお知らせ(1/18)』(プレスリリース)アビスパ福岡、1999年1月18日。オリジナルの1999年4月17日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/19990417135900/http://www.infoqshu.or.jp:80/avispa/html/topic9901.html2017年10月30日閲覧 
  5. ^ a b 前園真聖、戸塚啓『12年目の真実 マイアミの奇跡を演出した男』ぴあ、2008年、160-161頁。ISBN 978-4835617060 
  6. ^ a b 西田吉洋 選手 コンサドーレ札幌に完全移籍』(プレスリリース)コンサドーレ札幌、2003年1月21日。オリジナルの2003年12月12日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20031212062645fw_/http://www.menkoi.net:80/consadole/news/tp619.html 
  7. ^ 『CUE'S(2007年9月号)』BABジャパン、92-95頁。 

関連項目

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外部リンク

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