西江 肇司(にしえ けいじ、1968年9月14日-)は日本の実業家。株式会社ベクトル創業者・取締役会長

にしえ けいじ

西江 肇司
生誕 (1968-09-14) 1968年9月14日(56歳)
岡山県倉敷市
出身校 関西学院大学社会学部
職業 株式会社ベクトル取締役会長
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人物

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1968年岡山県倉敷市出身。岡山県立倉敷天城高等学校を経て[1]関西学院大学社会学部入学後、学生時代から起業家として活動[2]1993年に株式会社ベクトルを立ち上げる[3]。 学生向けパーティ会場を抑えるイベント事業やツアー事業、情報誌作りなど、多数のビジネスを手がけていた。当時、手がけたツアーやパーティは年間100本以上にのぼる[3]。 大学卒業後は外資系金融機関に就職予定だったが、断念。その後、プロモーション事業やテレビ番組の制作、ターミナル駅のラーメン街プロデュースまで、幅広い仕事をおこなう[2]2000年頃から、本格的な戦略PR事業を展開。企業活動を広める広報部のサポートやアウトソーシングが業務の主流だったPR業界において、新たな事業として注目を浴びた[2]2000年から7年間ほど、病気により休養[2]2010年から第一線での実務復帰。北京上海香港などをはじめ、シンガポールインドネシアタイベトナムなどに現地法人を設置。成長市場であるアジアASEAN主要国へ事業展開している[2]。現在、同社はアジアにおけるPR会社ランキングで3位を獲得[4]

エピソード

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  • 「戦略PR」を主流におこなう。また、「戦略PR」という言葉を日本で最初に使った人物でもある[3]
  • 多様な事業展開を進めるビジネススタイルで知られているが、それは「新しいことをやるのが好き」というよりは、「ひとつのことを長く続けるのが苦手だから」[3]
  • 中学校時代から一人暮らしを経験。小さい頃から変わっていたため、学校の先生には「あんたが大きくなったらどうなるか見てみたい」と言われたことも[3]
  • 周囲がおニャン子クラブに夢中だったときに、ローリング・ストーンズビートルズにハマっていた[3]
  • 高校時代まで、自由を謳歌していたため、大学時代に入ったときには「遊ぼう」とは思わなかった[3]
  • 学生時代から起業はしていたものの「社長になりたい!」と考えていたわけではなく、会社で働く自分が想像できなかったため、起業に至った[5]
  • PRを手がけるようになったきっかけは、他社にPRを依頼したところあまりうまくいかなかったため。その経験から、自分でPR事業を開始するようになり、現在に至る[5]

経歴

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著書

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  • 『何故あの会社はTV型サイトにするのか?』(アメーバブックス新社 2008/10)ISBN 4344991265
  • 『PR最強集団のTOPが教えるモノの広め方』(幻冬舎 2010/10)ISBN 4344991729
  • 『もし会社の上司に、Facebookを始めろと言われたら?』(幻冬舎 2011/10)ISBN 434402074X
  • 『何故あの会社はメディアで紹介されるのか?―PR最強集団のTOPが教える55の法則』(アメーバブック新社 2007/12) ISBN 434499101X
  • 『実践インバウンド・マーケティング~成功の鍵は戦略PR×インバウンド×CRM~』(宣伝会議 2013/06)ISBN 4883352781 ※谷井等氏との共著
  • 『戦略PR代理店』(幻冬舎 2014/6)ISBN 4344025571

脚注

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  1. ^ 西江 肇司
  2. ^ a b c d e [「週刊ダイヤモンド」2012年4月14日号]
  3. ^ a b c d e f g [「月刊宝島」2012年2月号]
  4. ^ a b [「ベンチャー通信オンライン」 http://www.v-tsushin.jp/search/details/016340/]
  5. ^ a b [転職のまぐまぐ!「ビジネスパーソンwebインタビュー」より http://career.mag2.com/interview/080207/]
  6. ^ a b c 2021年2月期 有価証券報告書
  7. ^ a b [J-CASTニュース https://www.j-cast.com/2014/11/18221117.html]

外部リンク

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