- 本尊 - 阿弥陀如来坐像
- 1959年(昭和34年)、長野県宝に指定。藤原末期、定朝様式の一典型。像高は半丈六を超える。膝の裏に墨書による修理銘がある。それによると年代は永禄6年(1563年)、願主は岌往(生蓮社)・円誉(相蓮社)、大工は宗観・即阿弥[2]。佐久市の伊勢林あたりで雨ざらしとなっていたという伝承がある[3]。
- 仙石氏の墓 - 小諸城主・仙石秀久は岌往と親交をもっていた[2]。
- 吉沢好謙の墓[2]
- 岩村田五代目藩主内藤美濃守正国公の墓
- 西念寺には蛇が棲んでいない。開山後4代目となる住職・岌円和尚が法力にて封じたためだという[4]。
- 仙石秀久の墓と囲いを同じくして、弟の内膳正正直の墓がある。乱暴者で秀久の怒りを買い、相木(南佐久郡)の谷に閉じ込めた。食事も満足に与えられず、心配した母が西念寺恵頓和尚に嘆願し、正直を本堂裏の「養真庵」に住まわせたが、若くして亡くなったという[5]。
- 現在の群馬県藤岡市にある西念山一行寺は、かつて岩村田藩の悪政から逃れ移り住んだ人々が、岩村田の一行山西念寺にちなんで建てたもの[6]。
- ^ a b c d “さわやか信州旅.net 西念寺”. 長野県観光機構. 2017年6月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『日本歴史地名大系 20 長野県』111ページ。
- ^ 『限定復刻版 佐久口碑伝説集 北佐久篇』61ページ。
- ^ 『限定復刻版 佐久口碑伝説集 北佐久篇』198ページ。
- ^ 『限定復刻版 佐久口碑伝説集 北佐久篇』282ページ。
- ^ 『限定復刻版 佐久口碑伝説集 北佐久篇』70ページ。