西川廣人
西川 廣人(さいかわ ひろと、1953年〈昭和28年〉11月14日 - )は、日本の実業家。日産自動車株式会社で代表執行役社長と最高経営責任者(CEO)を兼任した。
さいかわ ひろと 西川 廣人 | |
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日産自動車の株主総会に参加する西川(2014年6月24日撮影) | |
生誕 |
1953年11月14日(71歳) 日本 |
出身校 | 東京大学経済学部 |
職業 | 実業家 |
活動期間 | 1977年 - |
団体 | 芙蓉グループ |
給料 | 4億400万円(2019年3月期役員報酬) |
肩書き | 日産自動車株式会社 代表取締役社長兼CEO |
任期 | 2017年 - 2019年 |
人物・来歴
編集東京都立戸山高等学校を経て[1][2]、東京大学[2]経済学部を卒業。
1977年、日産自動車に入社。1999年以降、米国や欧州地域のマネジメント・コミッティ議長や、購買部門を統括する副社長、CCO(チーフ・コンペティティブ・オフィサー)、副会長を歴任。2016年11月より、代表取締役会長兼社長兼CEOのカルロス・ゴーンが三菱自動車工業の会長を兼務することに伴い、日産自動車の共同CEO兼副会長に就任。
2017年、日産自動車の代表取締役社長兼CEOに就任。2018年に、代表取締役会長のカルロス・ゴーンおよび代表取締役のグレッグ・ケリーが金融商品取引法違反容疑で逮捕された際には、日産自動車側代表として1人で記者会見に臨み、1時間以上にわたり謝罪と状況説明、質疑応答を行った[3]。
2019年、コーポレート・ガバナンスの強化を図り、日産自動車を指名委員会等設置会社に移行した。その後、不当に多く報酬を受け取っていた問題が発覚し社内調査がなされたが、意図的に多く報酬を得ようとして指示をしたことはないと結論付けられ、他の報酬を多く受け取っていた役員に関しても同様としていた[4]。しかし、9月9日の取締役会で社外取締役の井原慶子が辞任を促し、社内の世代交代に反発していた山内康裕COOも即時辞任を主張した[5]。これらの騒動の責任を取り、9月16日付で代表執行役社長兼CEOを辞任、山内康裕が暫定的に代表執行役社長兼CEO代行に就任した[6]。川口均副社長は、「西川社長の気持ちを察すると忸怩たる思いだ」とした上で、「ガバナンス改革が機能した」と評した[7]。
2020年2月に日産の取締役を退任し、日産から完全に離れた[8]。
略歴
編集- 1977年(昭和52年)3月 - 東京大学経済学部卒業[9]。
- 1977年(昭和52年)4月 - 日産自動車株式会社入社[10]。
- 1999年(平成11年)7月 - 欧州日産自動車会社出向[9]。
- 2000年(平成12年)4月 - 日産自動車株式会社 購買企画部部次長[11]。
- 2000年(平成12年)10月 - 日産自動車株式会社 購買企画部部長[10]。
- 2001年(平成13年)4月 - ルノー・ニッサン・パーチェシング・オーガニゼーション エグゼクティブ・ゼネラルマネジャー[9]。
- 2003年(平成15年)4月 - 日産自動車株式会社常務執行役員[10]。
- 2005年(平成17年)4月 - 日産自動車株式会社副社長執行役員[10]。
- 2005年(平成17年)6月 - 日産自動車株式会社取締役副社長[10]。
- 2006年(平成18年)5月 - ルノーS.A.取締役[12]。
- 2007年(平成19年)5月 - 日産・ノースアメリカ・インク取締役社長[13]。
- 2011年(平成23年)6月 - 日産自動車株式会社代表取締役副社長[9]。
- 2013年(平成25年)4月 - 日産自動車株式会社代表取締役副社長兼CCO[14]。
- 2014年(平成26年)4月 - 日産自動車株式会社代表取締役CCO[15]。
- 2015年(平成27年)6月 - 日産自動車株式会社代表取締役副会長兼CCO[16]。
- 2016年(平成28年)5月 - 一般社団法人日本自動車工業会会長[17]。
- 2016年(平成28年)6月 - 自動車公正取引協議会会長[18][19]。
- 2016年(平成28年)11月 - 日産自動車株式会社代表取締役副会長兼共同CEO[20]。
- 2017年(平成29年)4月 - 日産自動車株式会社代表取締役社長兼CEO[21]。
- 2017年(平成29年)6月 - 日産・三菱B.V.取締役[22]。
- 2019年(令和元年)6月 - 日産自動車株式会社取締役[23]。
- 2019年(令和元年)6月 - 日産自動車株式会社代表執行役社長兼CEO[23]。
- 2019年(令和元年)9月 - 日産自動車株式会社代表執行役社長兼CEOを退任。
- 2020年(令和2年)2月 - 日産自動車株式会社取締役を退任[8]。
その他
編集脚注
編集- ^ 「日産検査問題は「西川下ろし」」『FACTA』2017年12月号、2022年8月29日閲覧。
- ^ a b 井上, 久男 (2020年1月9日). “「食堂のランチは豚のエサか」日産幹部が目撃していたカルロス・ゴーンの「裏の顔」”. 文春オンライン: p. 3 2022年8月29日閲覧。
- ^ 多田敏男; 西岡千史 (2018年11月19日). “日産のゴーン会長を追放「クーデターではない。権限集中で負の遺産に」西川社長【会見全文】”. 週刊朝日 2022年8月29日閲覧。
- ^ “日産・西川社長、16日付で辞任 報酬問題を取締役会議論 後任は10月末までに決定”. 毎日新聞. (2019年9月9日) 2019年9月9日閲覧。( 要購読契約)
- ^ “西川氏の辞任、社外取締役が口火 社内調査結果が引き金”. 朝日新聞. (2019年9月11日) 2019年9月11日閲覧。( 要購読契約)
- ^ 磯山友幸 (2019年9月18日). “西川社長「解任」も「後任選び」も社内抗争という日産の暗部”. フォーサイト 2022年8月29日閲覧。
- ^ “日産副社長「社長辞任、企業統治が機能」”. 日本経済新聞. (2019年9月10日) 2020年2月5日閲覧。
- ^ a b “日産の西川・山内氏、完全退任”. 日本経済新聞. (2020年2月18日) 2022年8月29日閲覧。
- ^ a b c d “西川 廣人”. 日産自動車ニュースルーム. 日産自動車. 2020年2月5日閲覧。
- ^ a b c d e 『第106期 有価証券報告書』(PDF)(プレスリリース)日産自動車、2005年6月22日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ 『日産自動車、部長級人事異動を発表』(プレスリリース)日産自動車、2000年3月31日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ 『第107期 有価証券報告書』(PDF)(プレスリリース)日産自動車、2006年6月28日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ 『第108期 有価証券報告書』(PDF)(プレスリリース)日産自動車、2007年6月25日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ 『役員体制の変更について』(プレスリリース)日産自動車、2013年3月11日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ 『第115期 有価証券報告書』(PDF)(プレスリリース)日産自動車、2014年6月26日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ 『役員体制の変更について』(プレスリリース)日産自動車、2015年6月24日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ 『一般社団法人日本自動車工業会 役員名簿』(プレスリリース)日本自動車工業会、2016年5月19日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ 『一般社団法人日本自動車工業会 役員名簿』(プレスリリース)日本自動車工業会、2016年5月19日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ “軽自動車のリースに関する不当な表示、事業者に注意喚起”. グーネット自動車流通. (2016年9月28日) 2022年8月29日閲覧。
- ^ 『第118期 有価証券報告書』(PDF)(プレスリリース)日産自動車、2017年6月29日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ 『役員体制の変更について』(プレスリリース)日産自動車、2017年2月23日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ 『第119期 有価証券報告書』(PDF)(プレスリリース)日産自動車、2018年6月28日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ a b 『新しいコーポレートガバナンス体制に関するお知らせ』(プレスリリース)日産自動車、2019年6月25日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ “日産の西川体制はレームダック化 高額報酬の返上求める声も”. NEWSポストセブン: p. 3. (2019年7月30日) 2022年8月29日閲覧。
- ^ 伊藤典子(翻訳) (2018年11月27日). “焦点:ゴーン会長解任劇で注目、「敏腕」西川日産社長の横顔”. ロイター 2018年11月28日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集ビジネス | ||
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先代 カルロス・ゴーン |
日産自動車CEO 第3代:2017年 - 2019年 |
次代 山内康裕 CEO代行 内田誠 |
非営利団体 | ||
先代 池史彦 |
日本自動車工業会会長 第17代:2016年 - 2018年 |
次代 豊田章男 |
先代 池史彦 |
自動車公正取引協議会会長 2016年 - 2018年 |
次代 八郷隆弘 |