西園寺公兼
西園寺 公兼(さいおんじ きんかね)は、南北朝時代の公卿。右大臣・西園寺実俊の次男。官位は従二位・権大納言。主に後村上天皇(97代)・長慶天皇(98代)の代の朝廷に仕えた。
時代 | 南北朝時代 - 室町時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 応永24年(1417年)6月 |
官位 | 従二位・権大納言 |
主君 | 後村上天皇→長慶天皇 |
氏族 | 西園寺家 |
父母 | 父:西園寺実俊、母:家女房 |
兄弟 | 公永、公兼、道紹 |
子 | 実敦[1]、実光[2] |
経歴
編集正平22年/貞治6年(1367年)に従三位となり公卿に列する。応安4年(1371年)には参議となる。応安7年(1374年)は権中納言となる。天授5年/康暦元年(1379年)には権大納言に任じられる。弘和元年/永徳元年(1381年)に任職を辞する。
公兼の名跡は子・実敦に受け継がれ、公兼の家は西園寺家の分流的存在となったが、分家として定着する前に実敦の子・実種の代に実子なく絶えた。
系譜
編集- 父:西園寺実俊(1335-1389)
- 母:家女房
- 妻:不詳
- 男子:西園寺実敦 - 参議
- 男子:西園寺実光 - 権大納言