西丸氏(さいまるし)は、日本氏族本姓源氏で、河内源氏の流れを汲む佐竹氏の傍流にあたる。

概略

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西丸氏は佐竹氏の支族として栄えたが、慶長7年(1602年)に宗家の佐竹義宣出羽国秋田転封となった際、これに随行せず常陸国内に留まった。徳川家康の十一男・頼房水戸藩25万石の藩主に封ぜられると、統治安定のため旧領主たる佐竹氏の係塁を取り込む意図から、元和8年(1622年)に西丸義翁へ仕官の勧めがあった。しかし義翁は老齢を理由にこれを断り、子の広則が成長した後、水戸藩に出仕することになったという[1]

西丸氏からは幕末志士西丸帯刀が出ている。帯刀は磯原村(北茨城市)の旧族郷士野口氏の出身で、大津村の郷士西丸勇五郎義則の養子となった。生家・養家とも尊王の家系で、帯刀も尊王攘夷活動に身を投じ、明治維新後は北海道開拓に従事、帰郷後に隠棲するもかつての功績により従五位に叙せられた[2]

脚注

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  1. ^ 『水戸藩郷士の研究』11頁~13頁
  2. ^ 『三百藩家臣人名事典 (2)』409、410頁

参考文献

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  • 瀬谷義彦著『水戸藩郷士の研究』(筑波書林、2006年)ISBN 4-86004-064-3
  • 家臣人名事典編纂委員会編『三百藩家臣人名事典 (2)』 (新人物往来社、1988年) ISBN 4404014902