袁 式(えん しき、? - 456年または467年[1])は、東晋および北魏の学者・官人。は季祖。本貫陳郡陽夏県

経歴

編集

袁淵の子として生まれた。東晋の武陵王司馬遵の下で諮議参軍をつとめた。義熙11年(415年)、司馬文思らとともに後秦に入った。泰常2年(417年)、北魏に帰順し、上客となり、陽夏子の爵位を受けた。崔浩と国士の交わりを結んだ。故事に広く通じていたことから、崔浩が朝儀典章を定めるにあたってその諮問を受けた。清貧な生活を守り、士節を失わなかったため、当時の人は袁式を敬愛して「袁諮議」と呼んだ。延和2年(433年)、楽安王拓跋範雍州刺史となると、袁式は高允とともに衛軍従事中郎に任じられたが、断ったため免官された。晩年は訓詁学に凝って、字釈を作ろうとしたが、着手しないうちに死去した。豫州刺史の位を追贈された。は粛侯といった。

子の袁済が後を嗣ぎ、魏郡太守・寧遠将軍となった。

伝記資料

編集

脚注

編集
  1. ^ 『魏書』によると袁式の没年は天安2年(467年)となり、『北史』によると没年は太安2年(456年)となる。