行方幹
明治時代の官吏
行方 幹(1855年〈安政2年11月[1]〉 - 1910年(明治43年)1月22日[2])は、明治時代の官吏。幼名は豊太郎[1]。
経歴
編集戸村藤兵衛の二男として、上総国武射郡上大蔵村(豊岡村、松尾町を経て現山武市)に生まれる[1]。のち行方佐兵衛の養嗣子となる[1]。漢学を修め、1871年(明治4年)16歳にして千葉県大書記官となり、千葉県雇吏、東葛飾郡書記、千葉県収税属、税務費会計主務、同副長、収税課地方税掛長、収税庶務課長、収税部税務課長を歴任した[3]。1893年(明治26年)1月、千葉県香取郡長に就任し、以来長柄郡長、上埴生郡長、君津郡長、千葉郡長を経て[4]、1902年(明治35年)5月、同県山武郡長に就任した[5]。郡長在任中に死去した[2]。
脚注
編集- ^ a b c d 横芝町史編纂委員会 1975, 535頁.
- ^ a b 大植 1935, 1148頁.
- ^ 横芝町史編纂委員会 1975, 535-536頁.
- ^ 横芝町史編纂委員会 1975, 536頁.
- ^ 『千葉県千葉郡長行方幹以下四名任官ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治35年5月26日。
参考文献
編集- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 横芝町史編纂委員会 編『横芝町史 本編』横芝町、1975年 。