蟹穴古墳(がにあなこふん)は、三重県鳥羽市答志町にある古墳。形状は円墳。史跡指定はされていない。出土灰釉長頸瓶は国の重要文化財に指定されている。

蟹穴古墳
石室
所在地 三重県鳥羽市答志町蟹穴1063-2
位置 北緯34度31分34.65秒 東経136度53分53.35秒 / 北緯34.5262917度 東経136.8981528度 / 34.5262917; 136.8981528座標: 北緯34度31分34.65秒 東経136度53分53.35秒 / 北緯34.5262917度 東経136.8981528度 / 34.5262917; 136.8981528
形状 円墳
規模 直径14m
埋葬施設 無袖式横穴式石室(内部に木棺か)
出土品 鉄釘・耳環・方形透飾・須恵器
築造時期 7世紀後半
史跡 なし
有形文化財 灰釉長頸瓶(国の重要文化財
地図
蟹穴古墳の位置(三重県内)
蟹穴古墳
蟹穴古墳
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概要

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須恵器 長頸瓶
(国の重要文化財
東京国立博物館展示。

三重県東部、志摩半島北東の伊勢湾口に浮かぶ答志島の南側中腹(標高25メートル)に築造された小円墳である[1]1921年大正10年)に石室内で須恵器が発見され、1998年度(平成10年度)に発掘調査が実施されている。

墳形は円形で、直径14メートル程度を測る[2][3]。埋葬施設は無袖式横穴式石室で、南方向に開口した(現在は石室の天井石と上半部を欠失して基底部のみ残存)。石室の平面形としてはやや胴張りを呈し、三河地方からの影響が示唆される。石室内の副葬品としては、大正10年に須恵器(坏1・台付長頸瓶2)が発見されているほか、近年の調査で鉄釘(木棺に使用か)・耳環・金銅装方形透飾・須恵器(坏・高坏)が検出されている。特に長頸瓶1点は、完形品かつ須恵器の長頸瓶としては最大級であり、須恵器の代表例として貴重な資料である。築造時期は古墳時代終末期7世紀後半頃と推定される[2][3]

出土長頸瓶1点は1999年(平成11年)に国の重要文化財に指定されている。

遺跡歴

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  • 明治期、石室天井石が海岸築堤工事の記念碑に使用[2]
  • 1921年大正10年)、畜鶏事業工事に伴う墳丘の地ならし(工事以前もほとんど墳丘は削平)。石室露出、須恵器(坏1・台付長頸瓶2)出土[1][2]
  • 1923年(大正12年)、出土須恵器が帝室博物館に寄贈(現在は東京国立博物館保管)[4]
  • 戦時中、石室内に防空壕の掘削(奥壁付近を除く床面の喪失)[2]
  • 1998年度(平成10年度)、県史編纂事業に伴う発掘調査。副葬品出土(三重県生活部文化課県史編さん室、1999年に報告書刊行)[2][3]
  • 1999年(平成11年)6月7日、灰釉長頸瓶が国の重要文化財に指定。

文化財

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重要文化財(国指定)

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  • 灰釉長頸瓶 - 高さ55.0センチメートル、口径24.2センチメートル、胴径36.5センチメートル、高台径24.5センチメートル。全体に自然釉がかかる。東京国立博物館保管。1999年(平成11年)6月7日指定[4]

関連施設

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脚注

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  1. ^ a b 蟹穴古墳(平凡社) 1983.
  2. ^ a b c d e f 三重県史 資料編 考古1 2005.
  3. ^ a b c 『三重県埋蔵文化財年報』平成10年度 (PDF) 三重県埋蔵文化財センター、1999年、p.18。
  4. ^ a b 灰釉長頸瓶 - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 「蟹穴古墳」『三重県の地名』平凡社日本歴史地名大系24〉、1983年。ISBN 4582490247 
  • 下村登良男「蟹穴古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 「蟹穴古墳」『三重県史』 資料編 考古1、三重県、2005年。 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『鳥羽市答志町所在 蟹穴古墳発掘調査報告』三重県生活部文化課県史編さん室〈三重県史資料調査報告書別冊〉、1999年。 

関連項目

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