虹の松原

佐賀県唐津市の唐津湾沿岸にある日本三大松原のひとつ

虹の松原(にじのまつばら)は、佐賀県唐津市唐津湾沿岸に広がる松原日本三大松原のひとつで特別名勝に指定され、日本の白砂青松100選日本の渚百選かおり風景100選日本の道100選[1]にも選ばれている。玄海国定公園の一部。幅約500 m、長さ約4.5 km にわたって弧状に約100万本のクロマツの林[2]が続く。面積は約216 ha である[3]海水浴場と隣接することでも知られる。

鏡山展望台から虹の松原全景
虹の松原
虹の松原周辺の空中写真。画像左側の松浦川の対岸(西側)が唐津市の中心市街地である。
1974年撮影の6枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
虹の松原の位置
虹の松原の位置
虹の松原
虹の松原の位置

歴史

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17世紀初頭、唐津藩藩主である寺沢広高が新田開発の一環として、もともとの自然林から防風林防砂林として植樹を行った[4]。藩の庇護の下、禁伐の掟(伐採は死罪)はもちろんのこと、燃料としての落葉の採取も厳しい制限が課せられていた。また、藩主の改易や移封により主家が変わっても手厚く管理された。

寺沢広高は、この中に自分が愛してやまない松が7本だけあると言ったというが、どの松と指定されてはいない。これは住民に「もし自分が粗末にした松がその7本のどれかだったら」と思わせることで、全ての松を大事にせざるを得ないように、心理的に圧力をかけたものといわれている。

この松原は、その区域の長さから、藩政時代は「二里松原」と呼ばれていた[4]。明治時代に呼ばれるようになった「虹の松原」の語源とも言われているが、呼称が変わった理由などは知られていない。

1771年には、当時天領となっていたことから、農民の反乱である「松原寄り(虹の松原一揆)」の舞台ともなっている。

明治維新以降は国有林に編入、2007年現在は、佐賀森林管理署が管理を行っている。民有地が僅かに点在するものの、ほぼ全域が保安林に指定されており、現在も伐採は制限を受けている。

2019年7月20日、虹の松原を抜ける県道で倒木による死亡事故が発生したのを受け、42本の松が伐採されたが、県が樹木医の調査を踏まえて危険と判断した215本は今も現地にある。

交通

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鉄道

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道路

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マツクイムシの被害

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1960年代、マツノマダラカミキリが媒介するマツ材線虫病の被害が拡大し、マツの大木が次々と立ち枯れる事態となった(外部リンク参照)。対策として、ヘリコプターによる薬剤散布、被害木の伐倒処理が毎年続けられており、松原の維持に多くの費用と労力が掛けられている。

2006年度の対応状況

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虹の松原七不思議

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虹の松原に関する不思議な言い伝えなどを七つ並べたもので、市民団体などが歴史の学習活動などで使うことがある。しかし、藩政時代に植林されたにもかかわらず豊臣秀吉が絡むものなど、事実として誤りでしかないものもあり、内容も一定ではなく変遷がある。

画像

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出典

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  1. ^ a b 「日本の道100選」研究会 2002, pp. 196–197.
  2. ^ 史跡名勝等 虹の松原
  3. ^ 特別名勝 虹の松原 虹の松原の概要:幅 約500 m、長さ 約4.5 km、総面積 約216 ha
  4. ^ a b 「日本の道100選」研究会 2002, p. 196.

参考文献

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  • 「日本の道100選」研究会 著、国土交通省道路局(監修) 編『日本の道100選〈新版〉』ぎょうせい、2002年6月20日、196-197頁。ISBN 4-324-06810-0 

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯33度26分38.6秒 東経130度00分48.8秒 / 北緯33.444056度 東経130.013556度 / 33.444056; 130.013556