虞婁靺鞨(ぐろうまっかつ)は、靺鞨の諸部の一つ。

勿吉七部(靺鞨七部)の民族系統。勿吉七部(靺鞨七部)の粟末靺鞨の系統が渤海国に発展し、勿吉七部(靺鞨七部)の黒水靺鞨の系統が金に発展している。

概要

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靺鞨はもともと靺鞨七部に分かれ、それぞれが大河の水域を支配するかなり大きな勢力であったが、渤海が建国することによって分断される[1]。特に南部の方にいた諸部は、渤海建国の主体となるが、建国後、今度は東や北の方にいた諸部が、渤海に阻まれてなかなかに遣使することができない状況となる[1]。一方、払涅靺鞨、虞婁靺鞨、越喜靺鞨鉄利靺鞨といった集団は、時々唐と通ずることがある[1]。つまりそういった渤海の圧迫や規制を受けながら、そこからそれを迂回するなり何なりの方法を取って、唐と連絡を取るようになる[1]

脚注

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  1. ^ a b c d 田中聡 著、北海道大学アイヌ先住民研究センター 編『文献史からみた古代北方世界の『民族』的動態』2012年3月31日、68頁https://hdl.handle.net/2115/56282。「新しいアイヌ史の構築 : 先史編・古代編・中世編 : 「新しいアイヌ史の構築」プロジェクト報告書2012」