藤田高之

広島県出身の政治家、検察官

藤田 高之(ふじた たかゆき、1847年8月28日弘化4年7月18日[1] - 1921年大正10年)5月28日[1])は、広島県出身の政治家検察官衆議院議員を務めた。通称は次郎[1]、号は九樹[1]

経歴

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1847年(弘化4年)安芸国(広島県)に生まれる。広島藩学問所(現:修道中学校・高等学校)に学び[2]、1863年(文久3年)学問所句読師となる。1867年(慶応3年)神機隊の隊長に就任。1868年(明治元年)戊辰戦争に出征し戦功を上げた。1874年(明治7年)司法省に出仕。1880年(明治13年)東京上等裁判所検事となる。1892年(明治25年)立憲改進党から衆議院議員に当選(広島県選出)。以後当選2回。1893年(明治26年)に播但鉄道初代社長に就任。1921年(大正10年)死去[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e 藤田高之』 - コトバンク
  2. ^ 修道中学校編「修道中学校史」1931年 28頁

関連項目

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ビジネス
先代
(新設)
播但鉄道社長
1893年 - 1894年
次代
牟田口元学