藤田親昌
藤田 親昌(ふじた ちかまさ、1904年(明治37年)1月17日-1996年(平成8年)11月13日)は、日本の出版人、編集者。元文化評論社社長・中央公論社編集部長。横浜事件に連座する。
略歴
編集1904年(明治37年)1月17日、神奈川県鎌倉に生まれる。法政大学予科を経て、1930年(昭和5年)に法政大学法文学部英文科を卒業する。中央公論社に入社し、出版部長、編集部長を歴任する。1944年(昭和19年)にいわゆる横浜事件により検挙、一年に渡り拘禁され、1945年(昭和20年)に起訴留保処分により釈放される。
戦後、1946年(昭和21年)に文化評論社を設立し、社長に就任する(1961年(昭和36年)に閉鎖)。その後は、多摩文化協会長、神奈川県社会教育委員連絡協議会長、川崎文化財団理事、川崎市社会教育委員など多くの地域活動、ボランティア活動に取り組んだ。
1996年(平成8年)11月13日に死去、92歳。
家族
編集共著
編集- 『言論の敗北 横浜事件の真実』(三一書房、1959)
- 『横浜事件』(日本エディタースクール、1977)
編集
編集参考
編集- 『近代日本社会運動史人物大事典』(日外アソシエーツ、1997)
- 『現代物故者事典1994-1996』(日外アソシエーツ、1997)
- 「横浜事件」第4次再審請求が意図するもの - ウェイバックマシン(2011年8月20日アーカイブ分)
外部リンク
編集- 法政大学大原社会問題研究所『日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動』横浜事件1、横浜事件2、横浜事件3)