藤田圭雄
略歴
編集東京牛込生まれ。父は歴史家(東大史料編纂所編纂官)の藤田明(1877 - 1915)。伯父に正木直彦。11歳で父を亡くす。
平凡社に勤務、滝沢修らと演劇運動に関わる。1933年中央公論社に入社、児童文化関係の出版に携わる。戦後、サトウ・ハチローと協力して童謡運動を展開、実業之日本社で『赤とんぼ』を編集、1948年同誌休刊により中央公論社に復帰。1950年理事、取締役、婦人公論編集部長、1953年中央公論編集部長、1960年定年。
1972年『日本童謡史』で日本児童文学者協会賞受賞。1977年『解題戦後日本童謡年表』で日本児童文学学会賞受賞。1985年巖谷小波文芸賞特別賞受賞。童話も書いた。
第10代日本児童文学者協会会長を務め(のち名誉会長)、長く児童文学評論界の重鎮であった。川端康成、美智子皇后と親しかった。
著作
編集- 『たのしく科学を』(日新書院) 1948
- 『新しい生活のくふう』(牧書店) 1954
- 『くらしの12か月』(牧書店) 1959
- 『うたうポロンくん』(小峰書店) 1962
- 『とんちゃんよさようなら はっきりもののいえる子にする童話』(実業之日本社) 1963
- 『うたのないきゅうかんちょう』(フレーベル館) 1964
- 『美しい人間像』(黎明書房、少年少女東京オリンピック全集 2) 1965
- 『ふたつのたいよう』(あかね書房) 1965
- 『ぼくは海賊・子どもの詩集』(フレーベル館) 1965
- 『童謡歳時記』(牧書店) 1965
- 『けんちゃんあそびましょ』(講談社) 1966、のち青い鳥文庫 1981
- 『コトバ・ことば・言葉』(牧書店) 1967
- 『けんちゃんしっかり!』(講談社) 1968
- 『山が燃える日』(講談社) 1969
- 『歌の中の日本語』(朝日新聞社) 1970
- 『日本童謡史』(あかね書房) 1971
- 『まいごになったおうむ』(至光社) 1971
- 『おじいさんのばいおりん』(至光社) 1972
- 『地球の病気』(国土社) 1975、新版 2002
- 『甲子園の土』(講談社) 1976
- 『解題 戦後日本童謡年表』(東京書籍) 1977
- 『ハワイの虹 随筆集』(晩成書房) 1978
- 『詩と童話の世界』(教育出版センター) 1985
- 『チンチン電車の走る街 大正しりとりうた』(金の星社) 1985
- 『月の絵本 少年詩集』(理論社) 1985
- 『東京童謡散歩』(東京新聞出版局) 1988
- 『童謡の散歩道』(日本国際童謡館) 1994
翻訳
編集- 『あおくんときいろちゃん』(レオ・レオニ、至光社) 1967
- 『金の星の子どもたち』(L・ベヒシュタイン、あかね書房) 1969
- 『はる・なつ・あき・ふゆのうた』(R・クローク、岩崎書店) 1972
- 『しょうぼうねこ』(エスター・アベリル、文化出版局) 1974、新版 1993
- 『おかしなおかしなきりんくん』(シェル・シルバースタイン、実業之日本社) 1976
- 『フィリポのまほうのふで』(ミッシャ・ダムヤン、佑学社) 1978
- 『ゆめうらないのえほん』(ワルター=シュメグナー、講談社) 1979
- 『ボドニック』(シュテパン・ツァフレル、ほるぷ出版) 1979
- 『あるふゆのものがたり』(マックス・ボリガー、フレーベル館) 1981
- 『うたのすきなぞう』(ギーナ・ルック=ポーケ、ほるぷ出版) 1985
- 『おうむとあみもの』(マックス・クルーゼ、至光社) 1988
作詞
編集- 「ことばの歌」(第36回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲)
- 「日記帳」(小林秀雄作曲)
- 「日光市立湯西川小中学校校歌」(長谷川良夫作曲)[1]
- 「松戸市立常盤平第三小学校校歌」
脚注
編集参考
編集- 『日本近代文学大事典』
- 『中央公論社の八十年』
- 『ハワイの虹 随筆集』(晩成書房)