藤田保健衛生大学短期大学

廃止された大学
学校法人藤田学園 > 藤田保健衛生大学 > 藤田保健衛生大学短期大学

藤田保健衛生大学短期大学(ふじたほけんえいせいだいがくたんきだいがく、英語: Fujita Health University College[1])は、愛知県豊明市沓掛町田楽ヶ窪1番地98CiNIIに本部を置いていた日本私立大学である。1966年に設置され、2010年に廃止された。

藤田保健衛生大学短期大学
大学設置/創立 1966年
廃止 2010年
学校種別 私立
設置者 学校法人藤田学園
本部所在地 愛知県豊明市沓掛町田楽ヶ窪1番地98CiNII
学部 衛生技術科
医療情報技術科
研究科 臨床工学技術専攻
テンプレートを表示

概観

編集

大学全体

編集
  • 藤田保健衛生大学短期大学は、愛知県豊明市内にある日本私立短期大学学校法人藤田学園により1966年に名古屋衛生技術短期大学として設置された。元々は、大学に先駆けて独立の短大として設置されていたが、大学が併設されたことで併設型となる。学科の増設により2学科と専攻科1専攻になったが、2008年度より大学の学部に一体化されていくことになり募集を停止し、2010年5月に廃止された[2]

建学の精神(校訓・理念・学是)

編集
  • 藤田保健衛生大学短期大学における建学の精神は「独創一理」となっていた。

教育および研究

編集
  • 藤田保健衛生大学短期大学における教育
    • 衛生技術科:臨床検査技師を育成する学科。40年以上の歴史を有する伝統ある学科であった。
    • 医療情報技術科:病院の事務職員として勤務するのに必要な知識や教養を身につけることがねらいの、全国でも珍しい学科であった。医療情報英語・病院管理学・介護請求事務などの科目のほか病院実習もあった。診療情報管理士・2級メディカルクラークなどの資格取得に力を入れていた。

学風および特色

編集
  • 藤田保健衛生大学短期大学は臨床検査技師を育成する短大として1966年に日本で初めて創設された。そのため、臨床検査教育には長い歴史があった。
  • 「われら弱き人びとへの無限の同情心もて、かたときも自己に驕ることなく医を学ばん」といった教育の基本的姿勢を重視していた。
  • 大学との交流も盛んであった。

沿革

編集
  • 1966年 名古屋衛生技術短期大学(なごやえいせいぎじゅつたんきだいがく)として開学。衛生技術科を置く[3]
  • 1975年 修業年限を3年に変更
  • 1984年6月1日 藤田学園衛生技術短期大学と改称
  • 1991年 藤田保健衛生大学短期大学と改称
  • 1996年 医療情報技術科を新設[4]
  • 2007年度をもって募集終了。翌年度より藤田保健衛生大学医療科学部へ改組。
  • 2010年 廃止[2]

基礎データ

編集

所在地

編集
  • 本部キャンパス(愛知県豊明市沓掛町田楽ヶ窪1番地98)

交通アクセス

編集

教育および研究

編集

組織

編集

学科

編集
  • 衛生技術科
  • 医療情報技術科

専攻科

編集

別科

編集
  • なし
取得資格について
編集

受験資格

教育

編集
  • 特色ある大学教育支援プログラム
    • 「実践力と創造力を体得する学際的卒業研究」において2004年採択されていた。

学生生活

編集

部活動・クラブ活動・サークル活動

編集
  • 藤田保健衛生大学短期大学には、短期大学独自のクラブとして微生物学研究部・解剖学研究部・疾患モデル研究部などがあった。

学園祭

編集
  • 藤田保健衛生大学短期大学の学園祭は大学と合同で、概ね毎年10月下旬に行われていた。

大学関係者と組織

編集

大学関係者組織

編集
  • 藤田保健衛生大学短期大学は藤田学園同窓会組織の「短期大学部会」として部会組織に含まれている。

大学関係者一覧

編集

施設

編集

キャンパス

編集
  • 短大独自のキャンパスはなく、全て大学と共同使用となっている。

対外関係

編集

系列校

編集

卒業後の進路について

編集

就職について

編集
  • 衛生技術科:資格を活かした職に就く人が大部分であった。実績例として長崎大学病院スズケンなどがある。
  • 医療情報技術科:医療機関への就職者が多い。

編入学・進学実績

編集
  • 系列の藤田保健衛生大学ほか名古屋大学などがあった。

脚注

編集
  1. ^ CiNii-コメディカルスタッフにおけるインフォームド・コンセントのあり方 : 臨床現場の想定場面からの検討-より。2014年12月7日閲覧。
  2. ^ a b 沿革 - 学校法人藤田学園、2021年12月30日閲覧。
  3. ^ 在籍者数は221人(うち男子76人)
  4. ^ 当時の在学者数は75人(うち男子11人)となっている。

参考文献

編集

関連項目

編集

外部リンク

編集