藤澤茂登一
日本の教育者
藤澤 茂登一(ふじさわ もとかず、 - )は、日本の教育者。愛知第二師範学校、新潟県新潟師範学校、大阪府立清水谷高等女学校の校長を務めた。
略歴・人物
編集広島県師範学校(現・広島大学教育学部)教諭[1][2]を経て、1913年(大正2年)5月31日、愛知第二師範学校(のちの愛知県岡崎師範学校)(現・愛知教育大学)校長に就任(第5代)。1920年(大正9年)5月12日、新潟県新潟師範学校(現・新潟大学教育学部)の校長に就任した[3]。
1921年(大正10年)4月、大阪府立清水谷高等女学校(現・大阪府立清水谷高等学校)校長に就任した(第2代。大村忠二郎の後任)。1935年(昭和10年)11月、清水谷高女の校長を退職した[4])。
そのほか、江崎グリコが1934年(昭和9年)2月11日に設立した「母子健康協会」(現・公益財団法人)の監事なども務めた[5]。