藤澤拓斗
藤澤 拓斗(ふじさわ たくと、1990年5月27日 - )は、大分県宇佐市出身の元プロ野球選手、野球指導者(内野手)。右投左打。
朝日大学 コーチ | |
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中日ドラゴンズ時代 (2015年3月22日 阪神鳴尾浜球場) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県宇佐市 |
生年月日 | 1990年5月27日(34歳) |
身長 体重 |
173 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 二塁手、三塁手 |
プロ入り | 2013年 ドラフト6位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集柳ヶ浦高等学校時代には投手兼三塁手としてプレー。しかし、春夏ともに甲子園での全国大会出場はならなかった。
高校卒業後に西濃運輸へ入社すると、3年目の2011年に第81回都市対抗野球大会へ出場。5年目の2013年にも東邦ガスの補強選手として、第83回都市対抗野球大会へ出場した。
2013年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから6巡目指名を受け、契約金3000万円、年俸1000万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は46。中日から指名された直後には、西濃運輸の選手として第39回社会人野球日本選手権大会へ出場している[1]。
中日時代
編集2014年には二塁手へ転向。フレッシュオールスターゲームには、ウエスタン・リーグ選抜チームの一員として出場した[2]。一軍公式戦への出場機会はなく、60試合に出場したウエスタン・リーグ公式戦でも打率.192、1本塁打、11打点という成績にとどまった。シーズン終了後の11月1日には、翌2015年の契約に対して、NPBの野球協約で定められた減俸の上限(年俸1億円未満の選手の場合には25%)を適用することを球団から提示。結局、年俸750万円で契約を更改した[3]。
2015年には、ウエスタン・リーグ公式戦67試合に出場。打率.234、2本塁打、11打点という成績を残した。しかし、一軍公式戦への出場機会がないまま、10月27日に球団から戦力外通告を受けた[4]。
中日退団後
編集2015年11月10日に、シートバッティング形式の12球団合同トライアウト(草薙球場)へ参加したが、全7打席で無安打1四球6三振に終わった[5]。
2016年からは社会人野球に復帰。JR西日本へ入社してプレーを続ける[6]。JR西日本では主力として都市対抗や日本選手権にも出場した[7]。
2021年限りで現役を引退した[8]。その後は同社で社業に就いていたが、同社の総監督を務めた後藤寿彦の紹介で翌2022年年から朝日大学に出向、同大学野球部でコーチを務めている[9]。
選手としての特徴・人物
編集パンチ力と広角に打ち分ける技術を持ち合わせた打撃が特徴。守備では、三塁を中心に、内野の全ポジションをこなせる[5]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集- 一軍公式戦出場なし
背番号
編集- 46(2014年 - 2015年)
脚注
編集- ^ 西濃運輸 初戦敗退 中日ドラ6藤沢は悔しい1安打 - スポーツニッポン(2013年10月29日)
- ^ プロ野球フレッシュオールスターゲーム2014出場者(ウエスタン・リーグ選抜) - NPB公式サイト
- ^ 中日藤沢制限いっぱい25%減750万円 - 日刊スポーツ(2014年11月1日)
- ^ 来季の契約について - 中日ドラゴンズ公式サイト(2015年10月27日)
- ^ a b 2015年合同トライアウト詳細 - 日刊スポーツ(2015年11月10日)
- ^ 惜別球人2015【中日】藤沢 拓斗内野手 - スポーツニッポン
- ^ “前DeNA加賀美&前中日・藤沢…JR西日本をけん引する2人の元プロ野球選手”. デイリースポーツ (2017年6月29日). 2022年2月19日閲覧。
- ^ JRWEST_Baseballの2021年11月22日のツイート- X(旧Twitter)
- ^ 元中日の藤沢拓斗さんが朝日大コーチに 「部を強くしていきたい」中日スポーツ 2023年1月12日
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)