藤波恒雄

日本の通商産業技官

藤波 恒雄(ふじなみ つねお、1917年10月4日 - 1988年4月8日)は、日本通商産業技官科学技術事務次官を経て、日本原子力研究所理事長、日本原子力学会会長などを歴任した。

人物・経歴

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山梨県出身。1938年第八高等学校理科甲類卒業[1]。1940年東京帝国大学工学部卒業、電気庁入庁。1955年通商産業省公益事業局公益事業調査課長。1956年科学技術庁原子力局管理課長。1965年通商産業省公益事業局技術長。1967年科学技術庁原子力局長。1968年科学技術事務次官[2]国防会議幹事[3]。1969年放射線審議会委員、海洋科学技術審議会委員、航空技術審議会委員[4]

1972年電力中央研究所理事[2]。1974年電源開発調整審議会委員[5]。1975年資源調査会委員[6]。1976年原子力工学試験センター理事長。1980年日本原子力研究所理事長[2]原子力委員会参与[7]。1984年日本原子力学会会長[8]。1986年原子力委員会委員[2]。原子力委員会委員在任中の1988年に呼吸不全のため虎の門病院で死去し[2]正四位従三位勲二等旭日重光章追贈された[9]

脚註

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  1. ^ 第八高等学校一覧 第33年度(自昭和15年至昭和16年)
  2. ^ a b c d e 目次 |次頁 原子力委員会 原子力委員会委員 藤波 恒雄氏逝去
  3. ^ 官報和43年本紙第12588号 14頁
  4. ^ 官報昭和44年本紙第12633号 11頁
  5. ^ 官報昭和49年本紙第14346号 9頁
  6. ^ 官報昭和50年本紙第14449号 10頁
  7. ^ 官報昭和55年本紙第16138号 10頁
  8. ^ 歴代会長・副会長日本原子力学会
  9. ^ 官報
先代
村田浩
科学技術庁原子力局長
1967年 - 1968年
次代
梅澤邦臣
先代
井上啓次郎
科学技術事務次官
1968年 - 1971年
次代
梅澤邦臣
先代
村田浩
日本原子力研究所理事長
1980年 - 1986年
次代
伊原義徳