藤林普山
1781-1836, 江戸時代後期の蘭学者、医師
藤林 普山(ふじばやし ふざん、天明元年1月16日(1781年2月8日) - 天保7年1月14日(1836年3月1日))は、江戸時代後期の蘭学者、医師である。医書の翻訳で知られる。
人物情報 | |
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生誕 |
1781年1月16日 日本山城国綴喜郡(現京都府京田辺市) |
死没 | 1836年3月1日 (55歳没) |
学問 | |
研究分野 | 蘭学・医学 |
経歴
編集1781年、山城国綴喜郡水取村(現京都府京田辺市)に生まれる[1]。通称は泰介など、普山は号である。京都の蘭方医、中川修亭、稲村三伯(海上随鴎)らと付き合う。
研究内容・業績
編集- 翻訳にすぐれ、文法書、辞書を作成し、医書の翻訳を行い、蘭学の普及に貢献した。
- 著書に『訳鍵』(1810年)『和蘭語法解』『遠西度量考』や『西医方選』(1828年)、『西医今日方』(1848年)や、ステフェン・ブランカールトの『オランダ植物書』の抄訳、『武蘭加児都本草』などがある[2]。『訳鍵』は稲村三伯らの『ハルマ和解』の収録語6万余から3万余語を選んだ簡約版で、広く利用された。