藤本閑作
藤本 閑作(ふじもと かんさく[1]、1867年11月26日(慶応3年11月1日[2])- 1936年(昭和11年)12月12日[1])は、明治から昭和初期の政治家、実業家、銀行家。宇部銀行頭取[3]。貴族院多額納税者議員。族籍は山口県士族[2][3][4]。
経歴
編集藤本蔓平の長男[2]として後の長門国厚狭郡宇部村(現在の山口県宇部市[5])に生まれた。岩国の東沢瀉塾で学んだ[5]。漢学を修めた[1]。1877年(明治10年)7月に家督を相続する[2]。
1896年(明治29年)以降、石炭鉱業を経営し、宇部電気、宇部銀行、宇部鉄工所各取締役、宇部村信用購買販売組合理事のほか[1]、宇部商工会議所議員[3]、防長林業、宇部セメント各取締役、大和護謨栽培監査役などを務める[4]。
ほか、地方自治において、宇部村会議員、都市計画山口地方委員会委員などを務め、1918年(大正7年)山口県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[6]1925年(大正14年)9月まで1期在任した[1]。1922年(大正11年)宇部市制施行後は宇部市会議員に選出された[5]。
家族・親族
編集- 藤本家
脚注
編集- ^ a b c d e 『議会制度七十年史. 第1』212頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月14日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』ふ24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第10版 下』フ78頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第8版』フ81頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月14日閲覧。
- ^ a b c 『山口県百科事典』670頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、28頁。
参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。
- 山口県教育会編『山口県百科事典』大和書房、1982年。