藤堂 長源(とうどう ながもと、元禄2年(1689年) - 享保元年(1716年))は、津藩名張藤堂家(藤堂宮内家)第4代。伊賀国名張1万5000石の領主。

通称右近、宮内。父は名張藤堂家第3代・長守。娘に藤堂長熙室・知久。

藤堂長源の墓(名張市徳蓮院)

生来病弱であった。享保元年(1716年)、療養先の京都で客死した。跡を婿養子として分家・藤堂修理(九兵衛)家出身で従弟にあたる長熙が継いだ。宝永7年(1710年)の名張大火で屋敷が焼失しており、現在残っている名張藤堂家邸はその後再建されたものである。墓所は名張市徳蓮院。

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