藤原通基 (侍従)

日本の平安時代中期の公家

藤原 通基(ふじわら の みちもと)は、平安時代中期の公卿藤原北家関白太政大臣藤原教通の次男。官位正三位侍従

 
藤原通基
時代 平安時代中期
生誕 治安元年(1021年
死没 長久元年12月8日1041年1月13日
改名 信基(初名)→通基
官位 正三位侍従
主君 後一条天皇後朱雀天皇
氏族 藤原北家御堂流
父母 父:藤原教通、母:藤原公任の娘
兄弟 生子、真子、静円、信家通基歓子信長、静覚、藤原経家
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経歴

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長元5年(1032年)伯父・頼宗の加冠により、三弟・信長と共に元服[1]。この際、信長は従五位下に叙せられたのに対して、信基は4年前に死去した祖父・道長の戸籍に入っていた(養子関係にある)ため従五位上に叙せられた。翌年1月の除目で侍従に任ぜられる。

長元8年(1035年)、信基から通基に改名し、のち伊予権守春宮権亮を兼務し、長暦3年(1039年)には従三位次いで正三位に叙せられ公卿に列した。

病弱で血を吐く病にかかっていたとされ、長久元年(1041年)に21歳で病没した。最終官位は侍従正三位行春宮権亮兼伊予権守。

脚注

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