藤原資頼
平安時代後期から鎌倉時代前期の公卿。従三位・皇太后宮権大夫
藤原 資頼(ふじわら の すけより)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿。藤原北家大炊御門流、参議・藤原頼定の子。官位は従三位・皇太后宮権大夫。
時代 | 平安時代後期 - 鎌倉時代前期 |
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生誕 | 久安4年(1148年) |
死没 | 不詳 |
官位 | 従三位、皇太后宮権大夫 |
主君 | 後白河上皇→後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇 |
氏族 | 藤原北家大炊御門流 |
父母 | 父:藤原頼定、母:祝部成仲の娘 |
兄弟 | 頼房、資頼 |
妻 | 藤原季経の娘 |
子 | 資隆、縁快、覚融 |
経歴
編集長寛元年(1163年)従五位下に叙爵し、丹波守に任ぜられる。後白河院の院司を務める一方、受領として備中守・土佐守等の地方官を歴任した。
元久元年(1204年)皇太后宮権大夫に任ぜられ、承元4年(1211年)従三位に叙せられ公卿に列す。建保元年(1213年)出家。
官歴
編集『公卿補任』による。
- 長寛元年(1163年) 正月24日:従五位下、丹波守
- 永万元年(1165年) 6月24日:伊予守。7月18日:越中守
- 仁安元年(1166年) 8月27日:止越中守。10月21日:備中守
- 仁安3年(1168年) 11月21日:従五位上(大嘗会国司賞)
- 承安元年(1171年) 4月21日:土佐守
- 寿永2年(1183年) 8月16日:土佐守更任
- 文治3年(1187年) 11月8日:正五位下(朝観行幸。院司)
- 建久2年(1191年)2月1日:土佐守更任(2年)。12月13日:従四位下(藤原頼実から松尾北野行幸行事賞を譲渡)
- 建久4年(1193年) 5月29日:兼斎宮頭
- 建仁3年(1203年):信濃守[要出典]
- 元久元年(1204年)3月6日:皇太后宮権大夫
- 建永元年(1206年)正月6日:従四位上(宜秋門院御給)
- 承元元年(1207年)正月5日:正四位下(中宮御給)
- 承元4年(1211年)正月5日:従三位
- 建保元年(1213年):出家
系譜
編集『尊卑分脈』による。