藤原興風
日本の歌人
藤原 興風(ふじわら の おきかぜ)は、平安時代前期の歌人・官人。藤原京家、参議・藤原浜成の曾孫。相模掾・藤原道成の子。官位は正六位上・下総大掾。三十六歌仙の一人。
藤原興風(狩野尚信『三十六歌仙額』) | |
時代 | 平安時代前期 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 正六位上、下総大掾 |
主君 | 醍醐天皇 |
氏族 | 藤原京家 |
父母 | 父:藤原道成 |
経歴
編集昌泰3年(900年)父・道成と二代続けて相模掾に任ぜられる。治部少丞を挟んで、延喜4年(904年)上野権大掾、延喜14年(914年)上総権大掾と、主に地方官を歴任し、位階は正六位上に至る。
官位は低かったが『古今和歌集』の時代における代表的な歌人で、「寛平后宮歌合」「亭子院歌合」等の歌合への参加も多く見られる。『古今和歌集』(17首)以下の勅撰和歌集に38首が入集[1]。家集に『興風集』がある。管弦にも秀でていたという。
- 小倉百人一首
- 34番 誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに(『古今和歌集』雑上909)
官歴
編集注記のないものは『古今和歌集目録』による。