藤原 綿手(ふじわら の わたて、生没年不詳)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての女官朝臣官位正四位下命婦

生涯

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光仁朝宝亀6年(775年)、無位から従五位下に叙爵された、とあるのが史料における初出[1]延暦2年(783年)4月、藤原乙牟漏の立后の祝賀の宴にて命婦として従五位上を授けられる[2]。その後、正四位下まで進み、延暦14年(795年)5月には、4人の尼の得度枠を与えられている[3]。以降の経歴は不明である。

官歴

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六国史』による

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』巻第三十三、光仁天皇 宝亀6年7月26日条
  2. ^ 『続日本紀』巻第三十七、桓武天皇 今皇帝 延暦2年4月18日条
  3. ^ 日本後紀』巻第三、桓武天皇 延暦14年5月14日条

参考文献

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