藤原 成季(ふじわら の なりすえ、生没年不詳)は、平安時代中期から後期にかけての貴族・漢詩人。藤原南家貞嗣流、文章博士・藤原実範の子。官位は従四位上・文章博士。
後冷泉朝からから大内記を務め、白河朝では式部大輔も兼ねる一方で、周防権介・肥前守・筑前守の兼国にも与った。白河朝末の応徳3年(1086年)文章博士に任ぜられると、のち播磨権介・備前介などの地方官も務め、位階は従四位上に至る。嘉承2年(1107年)3月21日に80余歳で出家した。
文人として『中右記部類紙背漢詩集』『朝野群載』などに漢詩や文章が採録されている[1]。
『尊卑分脈』による。