藤原 恒興(ふじわら の つねおき)は、平安時代前期の貴族藤原北家末茂流中宮大夫藤原秀道の子。官位は従五位上左兵衛権佐

 
藤原 恒興
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位上左兵衛権佐
主君 陽成天皇光孝天皇
氏族 藤原北家末茂流
父母 父:藤原秀道、母:不詳
兄弟 恒澤恒永恒興恒峯
不詳
有時
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経歴

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右近衛将監を経て、陽成朝元慶3年(879年)正月に従五位下に叙爵するが、同年2月に父・秀道が没している。のち右馬助に任ぜられ、元慶7年(883年)第30次渤海使に対する饗宴において、恒興は大使・裴頲に御衣一襲を贈るための中使を務めた[1]

光孝朝に入ると、元慶8年(884年左兵衛権佐に遷り、仁和3年(887年)従五位上に至る。

官歴

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日本三代実録』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原秀道
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:藤原有時

脚注

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  1. ^ 『日本三代実録』元慶7年5月10日条

参考文献

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