藤原宣房 (鎌倉時代前期の公家)
鎌倉時代前期の公家。藤原北家勧修寺流。九条光長の三男。正四位下・左大弁。
藤原 宣房(ふじわら の のぶふさ、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の公家。藤原北家勧修寺流、参議・九条光長の三男。官位は正四位下・左大弁。
経歴
編集後鳥羽院政期の承元2年(1208年)右少弁に任ぜられると、承元3年(1209年)権右中弁次いで右中弁、承元5年(1211年) には正月に左中弁、9月に右大弁、10月に左大弁と、弁官として順調に昇進を重ねる。
左大弁を2年ほど務めて位階も正四位下に至るが、公卿昇進はならず、建保2年(1214年)正月に参議・三条公定が左大弁を兼ねていることから、これまでに宣房は左大弁を去った見られる。あるいは卒去したか。
官歴
編集『弁官補任』による。
系譜
編集『尊卑分脈』による。