藤原 定(ふじわら さだむ、1905年7月17日 - 1990年9月17日)は、日本の詩人評論家翻訳家

藤原定

略歴

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福井県敦賀市に生まれる[1]法政大学文学部哲学科で三木清谷川徹三に師事する[1]。大学時代から「生活者」に小説・詩を投稿し、1936年(昭和11年)に草野心平に誘われ『歴程』の同人となる[1]。その後、南満州鉄道調査部に勤務し、評論を上梓する。

1944年に第一詩集『天地の間』を刊行、戦後は法政大教授となる。1957年(昭和32年)に山室静らと詩雑誌『花粉』を発行する[1]1964年(昭和39年)には山梨県北巨摩郡大泉村西井出(現・北杜市大泉町西井出)に山荘を所有し、夏季の間は同地で詩作を行う[1]1979年(昭和54年)には第五詩集『環』を刊行し、『環』には「甲斐駒のうしろから」などの八ヶ岳山麓を題材とした詩も含まれている[2]。また、藤原の山荘の所在する北杜市大泉町西井出の最寄りには、小海線甲斐大泉駅が所在している。小海線は山梨県の小淵沢から長野県小諸を結ぶ単線の鉄道で、藤原は小海線を題材とした「小海線の詩」も手がけている[2]

1980年(昭和55年)に『環』で日本詩人クラブ賞受賞。1990年『言葉』で現代詩人賞受賞。評論、詩集のほかドイツ文学の翻訳も行なった。

1957年NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲『白き雲ゆく』の作詞者(作曲は橋本喬雄、編曲は島岡譲)。

著書

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  • 『文学における人間の生成』(文学社) 1937
  • 『近代支那思想』(中央公論社、東亜新書) 1941
  • 『現代作家の人間探究』(図書研究社) 1942
  • 『天地の間』(八雲書林) 1944
  • 『現代人の形成』(文化書院) 1948
  • 『恋愛論 情熱の人間学』(福村書店) 1949
  • ゲーテと世界精神』(日本教文社、ユネスコ叢書) 1950
  • 萩原朔太郎』(角川新書) 1951
  • 『愛と友情 少年少女のために』(福村書店) 1952
  • 『にくしみより愛へ 少年少女のために』(福村書店) 1953
  • 『中学生のための私たちの生き方』(宝文館) 1954
  • 『距離 詩集』(ユリイカ) 1954
  • 『愛の詩集』(編著、三笠新書) 1955
  • 『若き友へ』(河出新書) 1956
  • 『友情と恋愛』(宝文館) 1958
  • 『北陸路』(編、宝文館、日本の風土記) 1959
  • 『日本近代詩 解釈・鑑賞・詩人論』第1 - 2(弥生書房) 1962
  • 『僕はいる僕はいない 詩集』(昭森社) 1964
  • 『愛のパンセ 新しい愛の見方考え方』(三笠書房) 1965
  • 『詩の宇宙 重吉・暮鳥・元吉・賢治』(皆美社) 1972
  • 『幻視者萩原朔太郎』(麦書房) 1977
  • 『環 詩集』(弥生書房) 1979
  • 『藤原定詩集』(土曜美術社、日本現代詩文庫) 1985
  • 『言葉 詩集』(沖積舎) 1989
  • 『藤原定全詩集』(沖積舎) 1992

翻訳

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脚注

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  1. ^ a b c d e 一宮(2009)、p.148
  2. ^ a b 『山梨県立文学館 館報 第65号』(山梨県立文学館、2006年)、p.3

参考文献

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  • 一宮健一「藤原定 創作ノートより」『資料と研究 第十四輯』山梨県立文学館、2009年