藤原安継

平安時代初期の貴族。藤原式家。従五位上・周防守。子に藤原時継、藤原常江

藤原 安継(ふじわら の やすつぐ)は、平安時代初期の貴族藤原式家中納言藤原種継または無位藤原清成の子[1]官位従五位上周防守

 
藤原 安継
時代 平安時代初期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位上周防守
主君 平城天皇嵯峨天皇淳和天皇
氏族 藤原式家
父母 父:藤原種継もしくは藤原清成、母:藤原継縄の娘
不詳
時継、賀備能、常江
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経歴

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従五位下叙爵後、平城朝大同3年(808年雅楽助に任ぜられるが、間もなく左大舎人助に転じる。大同5年(810年薬子の変に伴い、薩摩権守左遷される。

その後赦免され、淳和朝天長6年(829年)に従五位上に昇叙されている。その他に周防守も務めた。

官歴

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注記のないものは『日本後紀』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原種継(または藤原清成
  • 母:藤原継縄の娘(藤原種継の子の場合)
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原時継
    • 男子:藤原賀備能
    • 男子:藤原常江

脚注

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  1. ^ 尊卑分脈』に両説が記されている。種継の子の場合は世嗣の弟とするが、実際に安継の六国史への登場時期は世嗣(延暦19年〔800年〕)より以降(大同3年〔808年〕)である。
  2. ^ 『尊卑分脈』

出典

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