藤原勤子
藤原 勤子(ふじわら の いそしこ/きんし、生年不明 - 大同4年6月12日(809年7月27日))は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての女官。姓は朝臣。官位は尚膳・従三位。
生涯
編集記録に現れるのは、光仁朝の宝亀6年(775年)6月、無位から従五位下を授けられたとあるのが最初[1]。その後宮での出世は同じ女官の藤原春蓮と歩調を合わせており、桓武朝の天応元年(781年)11月、延暦4年(785年)正月、同5年(786年)正月、同8年(789年)正月と、ともに昇叙されている。
その後はしばらく記録が途絶えているが、平城朝の大同3年(808年)11月、正四位上から従三位に昇叙され[2]、嵯峨朝の大同4年(809年)6月、尚膳従三位で薨去したとある[3]。
官歴
編集『六国史』による