藤原信経
平安時代中期の貴族
藤原 信経(ふじわら の さねつね[1]/のぶつね、安和2年(969年) - 没年不詳)は、平安時代中期の貴族。藤原北家良門流、陸奥守・藤原為長の子。官位は従五位下・越後守。
経歴
編集一条朝前期の長徳元年(995年)六位蔵人に補せられる。蔵人の傍ら、右兵衛尉・兵部丞・式部丞も兼ねた。またこの頃、作物所別当も務め、信経の作成した絵図面を清少納言から酷評されている(『枕草子』)。長徳4年(998年)巡爵により従五位下に叙せられ、河内権守に任ぜられた。
一条朝末の寛弘6年(1009年)ごろ越後守に任ぜられる。寛弘7年(1010年)ごろに藤原為時の三女と結婚すると[2]、寛弘8年(1011年)越後守を辞任して舅である藤原為時と交替する。内蔵権頭を経て、長和3年(1014年)今度は藤原為時の辞任に伴い、信経が越後守に再任されている。
官歴
編集系譜
編集『尊卑分脈』による。