藤原令明
平安時代後期の貴族・儒者。藤原式家、右京大夫・藤原敦基の長男。正五位下・大内記。子に藤原基業、藤原敦景(子に俊基、朝海(延暦寺))
藤原 令明(ふじわら の よしあき)は、平安時代後期の貴族・儒者。藤原式家、右京大夫・藤原敦基の長男。名は合明とも表記される。官位は正五位下・大内記。
時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 承保元年(1074年) |
死没 | 康治2年9月24日(1143年10月9日) |
別名 | 合明 |
官位 | 正五位下、大内記 |
主君 | 堀河天皇→鳥羽天皇→崇徳天皇→近衛天皇 |
氏族 | 藤原式家 |
父母 | 父:藤原敦基、母:中原季成の娘 |
兄弟 |
令明、茂明、敦兼、実信、周光、心覚、源義国室 養兄弟:敦光(藤原明衡子) |
妻 | 伴広貞の娘 |
子 | 範明、敦任、敦綱、基業、敦景、源師頼室 |
経歴
編集康和4年(1102年)頃に秀才に及第し、長治3年(1106年)に秀才として献策している。天永3年(1112年)には文章生となり左衛門尉を務める。9月に六位蔵人となり、11月には従五位下に叙爵。左衛門尉はそのまま務め続け、左衛門大夫となった。後に正五位下に叙され、上野介、大内記を歴任した。康治2年(1143年)に70歳で卒去。最終官位は正五位下行大内記[1]。