藤井 浩然(ふじい こうねん、1885年(明治18年)8月 - 1938年(昭和13年)10月23日[1])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。ジャーナリスト。
新潟県高田町(現在の上越市)出身。1908年(明治41年)、早稲田大学哲学科を卒業[2]。『高田日報』主筆、『新潟毎日新聞』編集局長を経て、越佐新報社社長・主筆となった。
1938年(昭和13年)、衆議院議員補欠選挙で当選を果たした[3]。
その他、高田英語学校を創設し校長に就任した。