薛伾
経歴
編集勝州刺史薛渙の子として生まれた。郭子儀に召し出されてその部下となり、諸将の間で名を知られた。建中4年(783年)、尚書左僕射の李揆が吐蕃への使節となると、薛伾はこれに従った。ときに朱泚の乱が起こり、吐蕃の軍が唐の援軍としてやってくると、薛伾は馬に乗って道案内をつとめ、武功県まで導いた。抜擢されて左威衛将軍に任じられた。吐蕃への使節をつとめること前後四度、官歴を重ねて左金吾衛大将軍・検校工部尚書・兼将作監となった[1]。元和8年(813年)4月、鄜坊観察使となった[2]。7月丁丑、在官のまま死去した[3]。潞州大都督の位を追贈された[1]。
脚注
編集伝記資料
編集- 『旧唐書』巻146 列伝第96
参考文献
編集- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。