蕭孝友
蕭孝友(しょう こうゆう、991年 - 1063年)は、遼(契丹)の外戚。字は撻不衍。小字は陳留。欽哀蕭皇后の弟にあたる。
経歴
編集蕭陶瑰の子として生まれた。開泰初年、外戚として任用され、小将軍の位を受けた。太平元年(1021年)、大冊の礼において、左武衛大将軍・検校太保の位を加えられ、孝友の名を賜った。
重熙元年(1032年)、西北路招討使に累進し、蘭陵郡王に封じられた。重熙8年(1039年)、陳王に進んだ。重熙10年(1041年)、中書令の位を加えられ、効節宣庸定遠功臣の称号を賜り、呉王に改封された。後に兄の蕭孝穆・蕭孝誠を葬ると、京師に帰還して南院枢密使となり、翊聖協穆保義功臣の称号を賜り、趙王に進み、中書令に任じられた。母の喪のために辞職したが、重熙15年(1046年)に北府宰相として復帰した。
重熙18年(1049年)、西夏遠征に参加して、弟の枢密使蕭恵とともに敗戦の責を問われたが、欽哀太后のとりなしで許された。重熙19年(1050年)、東京留守となり、燕王に徒封された。上京留守に転じ、さらに秦王に進んだ。
清寧元年(1055年)、尚父の位を加えられた。しばらくしてまた東京留守となった。清寧2年(1056年)、再び北府宰相となった。洛京留守に遙任され、さらに純徳功臣の称号を賜った。後に致仕すると、豊国王に封じられた。
伝記資料
編集- 『遼史』巻87 列伝第17