蕭大春
蕭 大春(しょう だいしゅん)は、南朝梁の皇族。安陸王。字は仁経。
蕭大春 | |
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梁 | |
王朝 | 梁 |
家名 | 蘭陵蕭氏 |
字 | 仁経 |
官職 | 使持節・雲麾将軍・東揚州刺史 |
生年 | 中大通2年(530年) |
没年 | 天正元年(551年) |
没地 | 会稽 |
父親 | 簡文帝 |
母親 | 左夫人 |
生涯
編集簡文帝蕭綱の六男として生まれた。母は左夫人。若くして書物や記録を渉猟し、その性格は慎ましかったが、体格は非常に肥っていた。大同6年(540年)、西豊県公に封じられ、中書侍郎に任じられた。後に寧遠将軍の号を受け、領石頭戍事を務めた。太清2年(548年)に侯景が反乱を起こすと、蕭大春は京口に逃れ、邵陵王蕭綸に従って鍾山で戦ったが、反乱軍に捕らえられた。太清3年(549年)6月、安陸郡王に封じられた。7月、呉郡に呉州が置かれると、呉州刺史として出向した。大宝元年(550年)2月、呉州が廃止されると、使持節・雲麾将軍・東揚州刺史に転じた。大宝2年(551年)8月に侯景が簡文帝を廃位すると、蕭大春は会稽で殺害された。享年は22。