蕭 大威(しょう だいい、大同5年(539年)- 大宝2年8月17日[1](551年10月2日))は、南朝梁の皇族。武寧王。字は仁容。
簡文帝蕭綱の十五男として生まれた。母は范夫人。挙措や態度が美しく、眉目は絵のようであった。
大宝元年(550年)10月、武寧郡王に封じられた。
大宝2年(551年)、信威将軍・丹陽尹として出向した。8月、侯景が簡文帝を廃位すると、大威は殺害された。享年は13。