蔦哲一朗
日本の映画監督
蔦 哲一朗(つた てついちろう、1984年6月29日[2] - )は、日本の映画監督である。 徳島県三好市池田町生まれ。
つた てついちろう 蔦 哲一朗 | |||||||||||
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生年月日 | 1984年6月29日(40歳) | ||||||||||
出生地 | 日本 徳島県池田町(現・三好市)[1] | ||||||||||
職業 | 映画監督、脚本家、ファッションデザイナー | ||||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||||
活動期間 | 2009年 - | ||||||||||
配偶者 | 高木悠衣(2017年 - ) | ||||||||||
著名な家族 | 蔦文也(祖父) | ||||||||||
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経歴
編集池田高等学校野球部を高校野球日本一に導いた蔦文也を祖父に持つ[3]。小中高はサッカーをしていた。池田高校から東京工芸大学へ進学[4]し、大学卒業後は映写技師のかたわら、短編映画を製作する[5]。2009年、『夢の島』がぴあフィルムフェスティバルに入選し、観客賞を受賞。2013年、『祖谷物語 おくのひと』が第26回東京国際映画祭「アジアの未来」部門にてスペシャル・メンションを受賞する[6]。2011年から、蔦文也の足跡をたどる記録映画の製作を進めており、蔦の家族や教え子たち約20人を取材した[7][8]。2014年度阿波文化創造賞を受賞[9]。
祖父・蔦文也の人物像を描いたドキュメンタリー映画『蔦監督―高校野球を変えた男の真実―』を製作し、2015年12月27日から三好市を始めとして徳島県内で順次上映される[10]。
映画監督以外の活動としては、地元の祖谷地方で害獣として駆除された鹿の革を使って、ブランドショップ「DIYA」を展開している[13]。
作品
編集- 夢の島(2009年) - 監督
- 祖谷物語 おくのひと(2013年) - 監督・脚本
- 蔦監督―高校野球を変えた男の真実―(2015年) - 監督
- たまの映像詩集 渚のバイセコー(2021年) - 監督・脚本
- 黒の牛(2024年) - 監督・脚本
出典
編集- ^ “映画撮影 古里知る旅”. 読売新聞 (2012年1月3日). 2014年3月31日閲覧。
- ^ “蔦監督の孫、映画監督デビュー! 夢は「徳島で映画祭」”. スポーツ報知 (2014年2月14日). 2014年3月31日閲覧。
- ^ “蔦監督の栄光とタブー 孫が記録映画制作”. 日刊スポーツ (2014年3月27日). 2014年3月31日閲覧。
- ^ 蔦監督の栄光とタブー 孫が記録映画制作
- ^ “トロムソ国際映画祭で最高賞を受賞した三好市出身の映画監督蔦哲一朗(つたてついちろう)さん”. 徳島新聞 (2014年2月20日). 2014年3月31日閲覧。
- ^ “ビジョンに欠ける東京 現場の熱意生かす必要”. 河北新報 (2013年10月27日). 2014年3月31日閲覧。
- ^ “故蔦監督の足跡を映像化 孫の映画監督、作品製作”. 徳島新聞 (2013年4月18日). 2013年8月19日閲覧。
- ^ ドキュメンタリー映画「蔦監督(仮)」を完成させよう プロジェクト!
- ^ “県文化賞に写真家・吉成さん 阿波文化創造賞に映画監督・蔦哲一朗さん”. 徳島新聞 (2014年10月27日). 2015年1月21日閲覧。
- ^ 徳島)故蔦監督のドキュメンタリー映画完成 孫が撮影
- ^ “高橋一生・斎藤工・リリーがトリプル受賞!日本ともゆかりの深いウラジオストク国際映画祭(ロシア)”. シネマトゥデイ. (2017年10月29日) 2020年4月6日閲覧。
- ^ “ご報告”. 高木悠衣Blog*悠悠閑閑* (2017年11月3日). 2020年4月6日閲覧。
- ^ デイリースポーツ (2019年12月25日). “駆除された鹿を天然藍で染めた革製品に 攻めダルマの孫、蔦哲一朗監督の挑戦”. まいどなニュース 2020年4月6日閲覧。
外部リンク
編集- 蔦哲一朗 - allcinema
- Tetsuichirô Tsuta - IMDb
- 映画 蔦監督
- 池田町出身の映画監督・蔦哲一朗さんにインタビュー
- 蔦 哲一朗 (tetsuichirou.tsuta) - Facebook