蔣肇聡
蔣介石の父
蔣 肇聡(しょう ちょうそう、繁: 蔣 肇聰、1842年11月10日〈道光22年10月8日〉 - 1895年8月24日〈光緒21年7月5日〉)は、清代中国の人物。中華民国初代総統である蔣介石の父として知られる。字は肅菴。
蔣 肇聡 | |
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プロフィール | |
出生: | 1842年11月10日 |
死去: | 1895年8月24日(52歳没) |
出身地: | 浙江省寧波府奉化県渓口鎮 |
職業: | 商人 |
各種表記 | |
繁体字: | 蔣 肇聰 |
簡体字: | 蒋 肇聪 |
拼音: | Jiǎng Zhàocōng |
ラテン字: | Chiang Zhao-cong |
和名表記: | しょう ちょうそう |
発音転記: | チャン・ヂャオツォン |
生涯
編集浙江省寧波府奉化県渓口鎮で塩屋「玉泰塩舗」を営む蔣斯千の次男として生まれ、一家は裕福であった。太平天国の乱の後、父の事業を引き継いだ。
蔣肇聡は計算高く抜け目のない人物であり、人々から「埠頭の黄鱔」と呼ばれていた[1]。彼は事業を拡大するため塩以外にも米、酒、野菜、雑貨などを取り扱うようになり、事業は絶頂期を迎えた[2][3]。彼は玉泰塩舗の敷地を拡大させて工房を設けて会計士や労働者を雇い、資本は2,000-3,000銀元を下らなかった。また、地域の他の商店とも協力関係を築き、陸上輸送の不便を克服するため船を借り、寧波の港から渓口鎮まで商品を運んだ[2]。
1894年、父の蔣斯千が死去し、翌1895年には後を追うように蔣肇聡も死去した[4]。蔣肇聡は溪口鎮北部の桃坑山に葬られた。
家族
編集蔣肇聡は3度正妻を迎え、2度の死別を経験している。