蓋州市(がいしゅう-し)は中華人民共和国遼寧省営口市に位置する県級市

中華人民共和国 遼寧省 蓋州市
蓋州駅のホームと駅名標
蓋州駅のホームと駅名標
蓋州駅のホームと駅名標
営口市中の蓋州市の位置
営口市中の蓋州市の位置
営口市中の蓋州市の位置
簡体字 盖州
繁体字 蓋州
拼音 Gàizhōu
カタカナ転写 ガイヂョウ
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
遼寧
地級市 営口市
行政級別 県級市
面積
総面積 2,928 km²
人口
総人口(2004) 73 万人
経済
電話番号 0417
郵便番号 115200
行政区画代碼 210881
公式ウェブサイト http://www.gaizhou.gov.cn/

歴史

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戦国時代国は遼河流域を開拓して、今の蓋州を含む遼東郡を設置した。秦が統一後も依然として遼東郡に属す。漢・魏・晋の時代は、平郭県(現在の鮁魚圏区熊岳城)を設けて、遼東郡を管轄した。五胡十六国時代前燕前秦後燕と国が代わり、平州に属する。407年北燕の建国後に高句麗に占領され建安県が設置され、建安城(現在の青石嶺の高麗城)が築城された。

唐代668年総章元年)建安城に建安州都督府を設置、遼代には辰州がとされた。金代になると辰州は蓋州と改称され、元代には蓋州路が設置された。明代になると1371年洪武4年)に州から衛への改制が実施され、蓋州衛が設置され、金州衛・復州衛・海州衛とともに山東按察司遼海東寧道に属した。そして、翌年新しく市街地を建設(現在の市政府の付近)した。清朝が成立すると1664年康熙3年)に蓋州衛が廃止となり蓋平県(taifin i elbeku hiyan)が設置され、奉天府の管轄とされた。

1912年に中華民国が成立すると蓋平県は奉天省の管轄となり、それは満洲国時代まで沿襲された。1945年、満州国が崩壊すると蓋平県人民政府が設置され、遼南行政公署の管轄となる。1946年冬から1947年春にかけて、蓋州は中国国民党により占領されたが、1947年6月には人民解放軍が蓋州を奪回している。1948年10月に遼東省に移管され、後に営口市の市轄県となり、1965年に蓋県に改称、1992年に県級市の蓋州市となった。

行政区画

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8街道弁事処、16、3を管轄する。

  • 街道弁事所:鼓楼街道、西城街道、東城街道、太陽昇街道、団山街道、西海街道、九壟地街道、帰州街道
  • 鎮:高屯鎮、沙崗鎮、九寨鎮、万福鎮、臥竜泉鎮、青石嶺鎮、暖泉鎮、榜式堡鎮、団甸鎮、双台鎮、楊運鎮、徐屯鎮、什字街鎮、砿洞溝鎮、陳屯鎮、梁屯鎮
  • 郷:小石棚郷、果園郷、二台郷

2004年1月8日に蓋州市の熊岳鎮・芦屯鎮・紅旗満族鎮を営口市鮁魚圏区へ編入。

著名人

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関連項目

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中国地名の変遷
建置 遼代
使用状況 蓋州市
北宋/辰州
南宋/蓋州
蓋州
蓋州衛
蓋平県
中華民国蓋平県
満洲国蓋平県
現代蓋平県
蓋県(1965年)
蓋州市(1992年)