蒔田広城
蒔田 広城(まきた ひろなり、旧字体:蒔田 廣城、1881年(明治14年)8月25日[1] - 1943年(昭和18年)3月18日[1][2])は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。幼名・新之助[3]。
経歴
編集元伊予宇和島藩主・伊達宗城の十一男として生まれ、子爵・蒔田広孝の養子となる[1][3]。養父の隠居に伴い、1912年(明治45年)7月20日に子爵を襲爵した[1][3][4]。
学習院を経て、京都帝国大学法科大学を修了[2][3]。1911年、アメリカ合衆国を視察[2][3]。帰国後、小田原急行沿線企業の重役を務めた[3]。
1919年(大正8年)12月26日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]、1925年(大正14年)7月9日まで在任[2]。さらに、1932年(昭和7年)7月10月、貴族院子爵議員に当選し[7][8]、研究会に所属して活動し1939年(昭和14年)7月9日まで通算2期在任した[2]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所編、1941年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 蒔田広孝 |
子爵 (浅尾)蒔田家第2代 1912年 - 1943年 |
次代 蒔田広靖 |