葦敷重頼
平安時代末期の武将。源重遠の次男。尾張春部郡安食荘荘司。子孫は葦敷氏、勝野氏。子に葦敷重助(生津太郎)
葦敷 重頼(あじき しげより)は、平安時代末期の武将。信濃守源重遠の次男[4]。安食重頼とも表記される。
時代 | 平安時代末期 |
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生誕 | 天永3年(1112年)[1] |
死没 | 安元2年2月11日(1176年3月23日)[2] |
改名 | 重頼→常観房(号) |
別名 | 葦敷二郎 |
官位 | 従六位下、右衛門少尉[2] |
氏族 | 清和源氏満政流山田氏(葦敷氏) |
父母 | 父:源重遠または源重実[3] |
兄弟 | 浦野重直、重頼、小河重房、山田重弘 |
子 | 重助、重隆、重義(重能)、重信 |
経歴
編集源満政から七代の孫にあたり、尾張国春部郡安食荘[5]の荘司となって同荘広瀬島に住した。長承年間に起こった墨俣合戦で大きく功を挙げる。その時戦死した子息・安食重義をはじめ郎党等の菩提を弔うために安食荘内に聖徳寺を創建した。晩年出家し、常観坊隆憲を称す。聖徳寺に伝わる文書によれば官位は従六位下、右衛門少尉1176年(安元2年)2月21日に没した。また同荘内には葦敷・山田一族の菩提寺で重頼の法名にちなんだ常観寺[6]があった。
脚注
編集参考文献
編集- 北区役所教育課編『北区誌』北区役所総務課、1964年、127・128頁。
関連項目
編集- 成願寺 (名古屋市北区) (法名常観坊隆憲にちなむ寺院)
- 聖徳寺 (名古屋市北区) (開基)